大瀧詠一と折坂悠太のヴォーカルにみる「鼻濁音」
鼻濁音の話。ごく軽い雑談です。

ちょっとしたメモ的なというか、雑談的な軽い記事です。
折坂悠太が好きです。とはいえ僕は「平成」で彼を知った口なので、取り立てて歴が深かったわけでもないんですが。一回聴いてすっかり好きになってしまいました。
有機的で柔らかな、えもいわれぬノスタルジックな質感を持ちながらも、決して懐古趣味に終始するものではなく、紛れもなく「現代」のポップスに昇華されていて、そこに「平成」とつけられたらもう、そりゃヤられますよね。当時、大いに食らいました。当時っていうか、ずっと聴いてます。
で、それとは別に、この間、大瀧詠一の「A LONG VACATION」を何となく車の中でかけてたら、ふと「あ、鼻濁音だ」と気がつきました。
鼻濁音って、「が・ぎ・ぐ・げ・ご」の音に対して存在する発音で(方言によってはタ行とかにもあるのかな?)、「が」ではなく、濁点ではなく半濁点「゜」をつけて「か゚」とか表記されます。聞こえ方としては「んが」に近いとか、「が」と「な」の中間、とか言われます。これは文字で伝えるのには限界があるので、知らない人は聞いてみてください。
中国地方を除いてほぼ全国的に見られ、トラディショナルな「東京方言」の発音として、NHKのアナウンサーとかにも徹底されてたそうです。登坂さんも自然な形で使用していますね。なんだこの動画。
あと、演歌ではもう完全にお約束です。北酒場の「長い髪の女が似合う」のところとか、鼻濁音じゃないと気持ち悪く感じますね。
いいなあ北酒場。ちなみにですが、基本的にこれは文節の一音目には適用されず、文中、例えば「こと”ご”とく」とかに適用されます。語頭のガ行には適用されません。「ゴンズイ」とかは多分、濁音の「ゴ」のはずです。そしてこの鼻濁音自体、昨今は衰退が激しく、耳にする機会が失われてきています。
というわけで大瀧詠一です。
ついでに、最近のポップスってどうなんだろうなと思って今年のヒット曲を聞き直してみましたが、割と明確に濁音で、鼻濁音が失われているというのは本当だったのか!と思いました。まあ、あんまり、網羅的にチェックしてはいないので、サンプルのテイをなしていませんが。もうちょっとちゃんと調べてみたいですね。
ヒゲダンの「未来”が”どうとか」も、YOASOBIの「僕”が”僕でいられるように」も、Adoの「あなた”が”思うより健康です」も濁音ですね。Adoのは、1回目のサビは鼻濁音を感じなくもないですが、2回目のサビ、他の全てのガ行は濁音なので、あんまり気にしてはいなさそうです。あと、気になったのは彼。
「演歌」ですが、たぶん発声としては基本、濁音でいってるっぽいんですよね。最後の「星が降る」のところは例外的に、明確に鼻濁音。そしてこっちの「車輪の夢」は、冒頭の「動き出した」に始まり、全編にわたってはっきりと濁音です。
「車輪の夢」はいわゆる「演歌」ではないので、曲によって歌い分けてるのかな? とも思いましたが、ともあれ、鼻濁音の使用は、演歌のフォーマットにおいても、必ずしも徹底されるものではなくなってきてるんだな〜と思いました。そこいくと、三山ひろしは「これぞ」という鼻濁音ですね。綺麗すぎてドヤ感すら感じます。先の細川たかしもそうですが、メロディーの流れていく感じが途切れなくて、「ああ、演歌を聴いている」という気になりますね。
というわけで、鼻濁音に着眼していろんな歌を改めて聴いてみると、いろいろと発見があり面白かったです。そして話は戻って折坂悠太。彼の歌には鼻濁音がたびたび登場するんですが、面白いのは、必ずしもガ行すべてが鼻濁音になるわけではないところなんですよね。明らかに意図してそれを歌唱に取り入れていた大瀧詠一とは違い、折坂悠太のそれは、歌の要所要所で「気まぐれに」登場してくるという印象を受けます。
ガ行以外にも、「坂道」の「重心を低く取り」の部分の「んを」の部分とか、軟口蓋鼻音 [ŋ] の音が顕著なんですが、一方で、先に挙げた例の「つまらない服を脱げと」の「げ」とかは濁音の [g] だったりします。そして、その点において現代的な印象を感じます。
まあ、そんなことをふと思って、「鼻濁音を基準に今のポップスを聴いてみる」みたいなのが最近ちょっと自分の中でブームで、一応書いておこうかなと思いました。上で2021年のヒット曲3曲(と演歌)を挙げましたが、基本的に濁音で、濁音の方がソリッドなビート感に合いやすいとか、そういう事情は明らかにありそうで、その辺も興味深かったです。「あなた “か゚” 思うより健康です」だと柔らかすぎるというか、流れてっちゃいますもんね。当然「流れてった」方がいい場合もあるんですが。
というかこれ、もっというと、「メロディーとビート感の折衷」みたいな、ここ数十年の日本のポップスの進化と発展みたいなテーマとも関連してくるやつなのかもしれないな、とも思いました。
なんか尻切れ蜻蛉な終わりかたですみません。他にもいろいろ思うところはありましたが、もうちょっと調べてみて、何かまとまったら形にしてみたいと思います。ではではー。
折坂悠太が好きです。とはいえ僕は「平成」で彼を知った口なので、取り立てて歴が深かったわけでもないんですが。一回聴いてすっかり好きになってしまいました。
有機的で柔らかな、えもいわれぬノスタルジックな質感を持ちながらも、決して懐古趣味に終始するものではなく、紛れもなく「現代」のポップスに昇華されていて、そこに「平成」とつけられたらもう、そりゃヤられますよね。当時、大いに食らいました。当時っていうか、ずっと聴いてます。
で、それとは別に、この間、大瀧詠一の「A LONG VACATION」を何となく車の中でかけてたら、ふと「あ、鼻濁音だ」と気がつきました。
鼻濁音って、「が・ぎ・ぐ・げ・ご」の音に対して存在する発音で(方言によってはタ行とかにもあるのかな?)、「が」ではなく、濁点ではなく半濁点「゜」をつけて「か゚」とか表記されます。聞こえ方としては「んが」に近いとか、「が」と「な」の中間、とか言われます。これは文字で伝えるのには限界があるので、知らない人は聞いてみてください。
中国地方を除いてほぼ全国的に見られ、トラディショナルな「東京方言」の発音として、NHKのアナウンサーとかにも徹底されてたそうです。登坂さんも自然な形で使用していますね。なんだこの動画。
いいなあ北酒場。ちなみにですが、基本的にこれは文節の一音目には適用されず、文中、例えば「こと”ご”とく」とかに適用されます。語頭のガ行には適用されません。「ゴンズイ」とかは多分、濁音の「ゴ」のはずです。そしてこの鼻濁音自体、昨今は衰退が激しく、耳にする機会が失われてきています。
というわけで大瀧詠一です。
くちびるつんとと“が”らせて 何か企む表情は
夜明けまでな“が”電話して 受話器持つ手がしびれたね
と、一曲目からこの辺も綺麗な鼻濁音になっていて、意識して聴き返したら、アルバム全編にわたって鼻濁音が取り入れられていました。アルバム「A LONG VACATION」といえば、膨大な引用からなる、60年代洋楽ポップスの「コラージュ」とも言われる作品ですが、気になるのは、そこに日本古来の発音と言われる「鼻濁音」が取り入れられたのは、果たして意識的なものだったのか? というところ。そこで「大瀧詠一 鼻濁音」でググってみたら、本人の対談がヒットしました。夜明けまでな“が”電話して 受話器持つ手がしびれたね
鼻濁音ってとても大切なんですよね。実は、アルバム「ロング・バケイション」ではすべて鼻濁音を使っています。70年代の「はっぴいえんど」時代は、濁音を使って強く聴かせるようにしていたんですけど。音楽をやっていると、自然とそういった日本古来の文化にも結びついていく。面白いですよね。
「作家で聴く音楽」第十七回 特別企画 大瀧詠一vs船村徹*
「おお!」と思いました。しかも対談相手が船村徹(!)。というわけで、大瀧さんの鼻濁音はやっぱり意識的だったようです。なんたってガチガチの理論家であり実践家の人ですから、「そりゃそうか」とも思いましたが、非常に納得のいくものでした。なんとなく、自力で気がつけてちょっと嬉しかったです。さておき、そこで思いだされたのが折坂悠太でした。折坂悠太も鼻濁音じゃなかったか? と。そこで聴き返してみました。
季節 か゚ 耳打ちする つまらない服を脱げと
喝采とわる く゚ ち か゚ 代わる か゚ わる血を注ぐ
と、彼のヴォーカルにも非常に効果的に鼻濁音が含まれていまして、ああ、あのヴォーカルの、柔らかでどこかノスタルジックで質感はこれだったのかと合点しました。喝采とわる く゚ ち か゚ 代わる か゚ わる血を注ぐ
ついでに、最近のポップスってどうなんだろうなと思って今年のヒット曲を聞き直してみましたが、割と明確に濁音で、鼻濁音が失われているというのは本当だったのか!と思いました。まあ、あんまり、網羅的にチェックしてはいないので、サンプルのテイをなしていませんが。もうちょっとちゃんと調べてみたいですね。
ヒゲダンの「未来”が”どうとか」も、YOASOBIの「僕”が”僕でいられるように」も、Adoの「あなた”が”思うより健康です」も濁音ですね。Adoのは、1回目のサビは鼻濁音を感じなくもないですが、2回目のサビ、他の全てのガ行は濁音なので、あんまり気にしてはいなさそうです。あと、気になったのは彼。
「演歌」ですが、たぶん発声としては基本、濁音でいってるっぽいんですよね。最後の「星が降る」のところは例外的に、明確に鼻濁音。そしてこっちの「車輪の夢」は、冒頭の「動き出した」に始まり、全編にわたってはっきりと濁音です。
「車輪の夢」はいわゆる「演歌」ではないので、曲によって歌い分けてるのかな? とも思いましたが、ともあれ、鼻濁音の使用は、演歌のフォーマットにおいても、必ずしも徹底されるものではなくなってきてるんだな〜と思いました。そこいくと、三山ひろしは「これぞ」という鼻濁音ですね。綺麗すぎてドヤ感すら感じます。先の細川たかしもそうですが、メロディーの流れていく感じが途切れなくて、「ああ、演歌を聴いている」という気になりますね。
というわけで、鼻濁音に着眼していろんな歌を改めて聴いてみると、いろいろと発見があり面白かったです。そして話は戻って折坂悠太。彼の歌には鼻濁音がたびたび登場するんですが、面白いのは、必ずしもガ行すべてが鼻濁音になるわけではないところなんですよね。明らかに意図してそれを歌唱に取り入れていた大瀧詠一とは違い、折坂悠太のそれは、歌の要所要所で「気まぐれに」登場してくるという印象を受けます。
ガ行以外にも、「坂道」の「重心を低く取り」の部分の「んを」の部分とか、軟口蓋鼻音 [ŋ] の音が顕著なんですが、一方で、先に挙げた例の「つまらない服を脱げと」の「げ」とかは濁音の [g] だったりします。そして、その点において現代的な印象を感じます。
まあ、そんなことをふと思って、「鼻濁音を基準に今のポップスを聴いてみる」みたいなのが最近ちょっと自分の中でブームで、一応書いておこうかなと思いました。上で2021年のヒット曲3曲(と演歌)を挙げましたが、基本的に濁音で、濁音の方がソリッドなビート感に合いやすいとか、そういう事情は明らかにありそうで、その辺も興味深かったです。「あなた “か゚” 思うより健康です」だと柔らかすぎるというか、流れてっちゃいますもんね。当然「流れてった」方がいい場合もあるんですが。
というかこれ、もっというと、「メロディーとビート感の折衷」みたいな、ここ数十年の日本のポップスの進化と発展みたいなテーマとも関連してくるやつなのかもしれないな、とも思いました。
なんか尻切れ蜻蛉な終わりかたですみません。他にもいろいろ思うところはありましたが、もうちょっと調べてみて、何かまとまったら形にしてみたいと思います。ではではー。