今さら、いや今だからこそBanksyを本気で解説する①

自由研究 | 05/17/2019

いまさらバンクシーのことを語ってみる

あの関口宏が「覆面芸術家バンクシーが・・・」などと日曜の朝に話しているのを見るにつけ、例の一件以来、日本でもすっかり有名になったなーという感慨もひとしおなBanksyです。

今さらバンクシーの経歴を説明したりするのもちょっと気恥ずかしいところがありますが、やっぱり僕は凄く影響を受けた人なので、一応おさらいしとこうかと思います。

と、その前に、まずは彼の登場の前段からお話ししましょう。
バンクシーが登場する前、90年代のイギリスで突如「YBA」というムーヴメントが起こりました。

ヤング・ブリティッシュ・アーティストとクール・ブリタニア

かなりざっくりした話になりますが、たとえばフランスやオランダなんかと比べると、イギリスは「美術」が強い土壌ではありませんでした。そんなイギリスにおいて、90年代に発生した一種の芸術運動が、「YBA」でした。

YBAとは「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」の略称で、このムーブメントは、1988年当時大学生だったダミアン・ハーストを中心として開催された「Freeze」という企画展を起源とします。YBAの作品はどれも非常にセンセーショナルで、ことあるごとに物議を醸しました。

その一例には、たとえばダミアン・ハーストによる、切断された動物をホルマリン漬けにした一連の作品や、マーク・クインによる自らの血液を用いて製作された彫刻、トレイシー・エミンによる、コンドーム・ティッシュ・タバコの吸い殻の散らかったベッドを用いた作品などが挙げられます。これらのダークでセンセーショナルな作品は、発表の都度批判されたり、逆に批判されるたび有名になったりを繰り返しました。
ダミアン・ハーストの作品
ダミアン・ハースト – Mother and Child (Divided)[1993](Youtubeより)

マーク・クインの作品
マーク・クイン – Self[1991](Youtubeより)

折しも1990年代は、音楽的にはオアシスやブラーなど、イギリス産ロックのムーヴメント、「ブリットポップ」の全盛期でした。また同じ頃、映画では「トレインスポッティング」が爆発的なヒットを記録し、さらには同作で使われたアンダーワールドの「Born Slippy (Nuxx)」が大ヒットしたりで、イギリス産のカルチャーが超カッコよくて、ものすごく勢いがあった時期でした。
オアシス – Wonderwall(1995)

トレインスポッティング(1996)

アンダーワールド – Born Slippy
これは時期的には1992年〜1996年にあたり、保守党のマーガレット・サッチャーの後を受け、同じく保守党のジョン・メージャーが首相を務めていた時期でした。そんな中、1994年に、保守党に対抗する労働党の党首に選出されたのが、のちの英国首相トニー・ブレアでした。
英国首相ふたり
ジョン・メージャー[左] / トニー・ブレア[右](photo by Wikipedia)
トニー・ブレアはこれらの「イケてるUK産カルチャー」を、「クール・ブリタニア」という名のもとで世界に発信することを政策として打ち出します(ちなみにですが、おそらく『クールジャパン』はこれに倣ったものと思われます)。

1979年から15年も続く保守党政権にうんざりしていた国民感情に加え、選挙中はリベラル色を打ち出していたブレアでしたから、彼が首相に選ばれた時には、労働者階級のヒーローであるオアシスのノエル・ギャラガーらも祝意を表明。ミュージシャンが政治的立場を表明するのは、このころのイギリスではかなり異例なことでした。
ブレアとノエル
ブレアの勝利を祝うノエル(Youtubeより)
しかしブレアはのちに方針を転換。サッチャー以来の弱者切り捨て路線に走り、2001年にはブッシュとともにイラク戦争に参入。ブレアの首相就任時にはその勝利を祝った労働党支持者たちでしたが、これには失望しました。ちなみにノエル・ギャラガーは、のちに「あいつがあんなクソ野郎に変身するなんて思いもしなかった」と、彼らしい言葉を残しています。そしてそんな折、ブレアのネオリベ化と軌を一にするように、YBAムーブメントも収束していきます。

もっとも収束したとはいえ、ダミアン・ハーストらアーティストたちは成功して大金持ちになりました。しかしそれは同時に、血気盛んな若者たちのカルチャーが商業主義のなかに組み込まれてしまったことを意味します。YBAが立てる中指に、かつての説得力ははなくなってしまいました。



そしてそれと入れ替わるように出てきたのがバンクシーでした。



初期のキャリア


バンクシーの活動はグラフィティにカテゴライズされますが、彼の表現はいわゆる「ヒップホップ的」なスタイルではなく、ステンシルを用いた作風を特徴とします。イギリスといえば、セックス・ピストルズ、クラッシュなどを輩出した言わずと知れたパンクの総本山ですが、DOMMUNEの宇川直宏氏は、バンクシーの表現方法について、「クラス」などの英国パンクとの類似を指摘しています。

crass
UKの伝説的パンクバンド「CRASS」のアルバム。
反商業主義を標榜し、極めてインディペンデントな活動を展開。レコード、印刷物など全てを自主制作したことで知られる。
低予算化のために彼らが用いた「モノクロ印刷」「ステンシルの文字」は、やがてパンクそれ自体を象徴するシンボルとなった。

とはいえ、そもそものグラフィティはヒップホップの4大要素の一つであり、もちろんニューヨークが発祥。バンクシーもその影響を受けた一人でした。事実、現在のステンシルのスタイルを確立する以前の90年代には、バンクシーは「DryBreadZ」というグラフィティチームに所属し、そこで「ニューヨークスタイルな」グラフィティ活動を行なっています。

自治体によってすぐに消されるか、他のライターに上書きされるかが常の、「一過性の表現」であるグラフィティですが、当時からグラフィティの作品をアーカイブし続けているウェブサイトに、「Kato」「Tes」らと並んで「BANKSY」のタグ記載のある作品がありました。恐らく、壁に描かれた作品の中で、インターネット上で確認できる中では、最古の部類に属すると思われます。

kato
バンクシーのサイン
ART CRIMESより

そして1998年には、バンクシーはブリストルのイーストンで個展を開催しています。この時はアクリル絵の具を用いた作品が主で、この中には彼の代表作の一つ「The Flower Thrower」の原型と思われる作品がありました。
イーストンのバンクシー' 98
「Banksy’s Bristol Home Sweet Home」より。1998年、イーストンの個展に展示されていた。
花束を投げつける暴徒のイメージは、のちの代表作、「The Flower Thrower」の原型と思われる。
また1999年には、「MILD MILD WEST」がブリストル、ストークス・クロフトの壁に描かれました。これは手描きの作品としては最後期の貴重なもので、なんと、まだ消されたりも壁ごと外されたりもせず、元の場所にあるそうです。おそらく、このあたりの時期までがいわゆる「ステンシル以前」のバンクシーの活動期間であると考えられます。


MILDMILDWEST
手描き最後期の作品。この作品を残した後、拠点をブリストルからロンドンへ移す。(photo by Wikipedia)

パーソナリティに関する公式発表

彼のパーソナリティについては実は、彼がまだ世間の注目を集める以前、2000年頃の彼のウェブサイトに記載されていました。当時のサイトにはこんな「自己紹介」がありました。

According to Police statistics the average grafitti writer is male, aged between 13 and 16, and a virgin. Despite reports to the contrary Banksy is not your average grafitti writer. Hailing from the South West of England he describes his artwork as “attacking the monotony of property sloppily”. Sources close to him describe a “useless Bristolian alcoholic ” with no art school training who fell into his current career by accident. His technique involves spraying iconoclastic stencilled images on major city streets by night. The style is Punk Rock dragged kicking and screaming into the 21st Century. A unique hybrid of the devious and the loveable.

警察の統計によると、
一般的なグラフィティライターは13〜16歳の男性(童貞)だそうだ。
この統計とは異なり、バンクシーはこれに該当しない。
サウス・ウェスト・イングランド出身の彼は、
自身の作品を「街並みの無機質さへの突貫工事的攻撃」と表現する。
彼に近い情報筋は彼のことを
「不慮の事態から今のキャリアに至っている、
芸術学校のトレーニングを積んでいない、
役立たずのブリストルのアル中」
と呼んでおり、彼のテクニックは、深夜の都市のストリートに
因習打破主義的なステンシルのイメージをスプレーで書きつけることを含む。
そのスタイルは21世紀に蹴り込まれたパンクロックであり、
悪質と愛らしさのユニークなハイブリッドだ。

言葉で直接自分の考えを語る、なんていう野暮をやらなくなった今では考えられませんが、当時はこんなことを言っていました。先にも述べたパンクの要素は、実はバンクシー自らが標榜していたところでもあったわけですね。これによると、どうやら彼が「サウス・ウェスト・イングランド出身」であり、「芸術学校のトレーニングを積んおらず」、少なくともこの当時は「ブリストルで酒浸り」であるらしいことが伺えます。

彼のパーソナリティに関する一切の情報は、デマや推論を含めて今やおびただしい情報が飛び交っており、そもそも一人の活動じゃなさそうですし、その全てが結局のところ検証のしようがないため、ここでは大昔の「公式発表」を紹介するに留めます。

もちろん、この「公式発表」自体が嘘である可能性にもご留意ください。



台頭と海外進出


そして2000年頃からバンクシーは、ステンシルを用いた表現にシフトし始めます。

「ラフ・ナウ」に代表される猿のモチーフや、例のネズミなどが街中に頻出したのが2000年以降でした。そして2001年にはロンドンのリヴィングトンで展示を開催、自費出版本「BANGING YOUR HEAD AGAINST A BRICK WALL」を発売します。2002年にはグラスゴー、ロサンゼルスでも展示を開催するなど、アクティブに活動。2000年〜2003年の間にはバルセロナ、ベルリン、東京、パリ、ロサンゼルス、イスラエルへ出張。その正体を明かさぬまま、精力的に活動を続けました。

そして、先ごろ日本で大きな話題になった「アレ」も、この時期の作品であると思われます。
↑アレ。

小池百合子東京都知事が「バンクシーかもしれないカワイイネズミの絵」を喜色満面にツイッターにアップしたのは記憶に新しいところですが、2007年に出版されたバンクシーの”公式の”画集「Wall and Piece」には、「東京 2003」というキャプションとともに、これに酷似した写真が掲載されています。ボルトの形状なども一致することから、多くの識者も「どうやら本物である可能性が高い」とコメントしています。よかったですね、小池知事。

東京 2003
画集Wall and Piecesより。「東京 2003」との記載あり。
さて、本作が掲載されている画集「Wall and Piece」の中で、バンクシーはこんなことを言っています。

僕らの街を管理している役人には、グラフィティはわからない。だって連中は、儲けを得られないものには価値がないと思ってるし、グラフィティを認めれば、連中の主張は説得力を失うから。

さて、多分「なんだか有名な絵描きらしいわよ」くらいの理由でグラフィティ、器物損壊行為を認めてしまったこの東京で一番偉い役人の人は、今後東京中のグラフィティとどう向き合っていくのでしょうか。
crass
東京への贈り物の例。東京入管局の難民対応を批判するグラフィティ。

エキシビション「ターフ・ウォー」

警察に目の敵にされながらグラフィティ活動を続ける傍ら、バンクシーは自身の個展も精力的に開催しました。その中でも有名なのが、2003年7月にロンドンで開催されたゲリラ個展、「Turf War(ターフ・ウォー)」

Turf Warは日本語で「縄張り争い」を意味する言葉。会場には、グラフィティを殴り書きされた警察車両などが展示され、文字通りグラフィティと警察との「縄張り争い」が描かれました。そして、この展示には他にも「Turf」に当てつけた仕掛けが施されていました。

Turf War展示の様子。二階正面にチャーチルの肖像画が掲げられている。
会場正面には、巨大な「モヒカンのチャーチル」の肖像が展示されていました。これは現在、バンクシーの作品の中でも人気のあるものの一つとして知られていますが、彼の頭に生えているのは髪の毛ではなく、「Turf(芝)」。そしてさらに、この「モヒカンのチャーチル」には実は元ネタがありました。それは2000年のメーデーに、「リクレイム・ザ・ストリーツ」という集団が起こしたデモの最中に起こった、ある事件でした。

リクレイム・ザ・ストリーツは、「道を車から人々の手に取り戻すこと」を目的としてスチャラカなデモを巻き起こす集団で、過激な扮装をして太鼓を叩いたり、かと思えば素っ裸になって笛を吹いたりしながら「道を占拠する」という、とても楽しげな抗議行動を主たる活動内容としています。

2010年の「全裸自転車ライド」に参加するRTS(photo by Wikipedia)
そしてその日彼らは、「議会前の広場を市民の手に」というスローガンのもと、広場に勝手にガーデニングをする「ゲリラ・ガーデニング」を実行していました。 その会場(標的?)となったイギリス議会前広場には、イギリス議会のシンボルともいえる銅像が設置されていました。銅像のモデルはウィンストン・チャーチル。第二次世界大戦では海軍大臣、のちに英国首相として指揮をとり、当時、ヨーロッパほぼ全てがドイツに占領された中にあっても、なお和平路線を拒み続け、ついには英国を勝利に導いた軍人政治家です。

チャーチル
ウィンストン・チャーチルのもっとも有名な写真。カメラを睨みつける鋭い眼光は、海軍のみならず国家をも率いた彼の辣腕をよく表しているが、この表情は、撮影のために「葉巻」を取り上げられたために、偶発的に得られた表情であるともいわれる。(photo by Wikipedia)
チャーチルの銅像
イギリス議会前広場にあるチャーチル像。全長3メートル65cm。(photo by Wikipedia)
そんなイギリスの英雄、チャーチルをかたどった4メートル近い銅像に、この時一人の男がよじ登り、そのトレードマークともいえる禿頭の上に、長方形にカットした芝生を乗せたのです。
モヒカンチャーチル
完成
イギリスでもっとも有名な政治家チャーチルの「禿頭」と、イギリスのパンクカルチャーが生んだもっとも有名な髪型「モヒカン」。このシンプルかつ妙に写真映えのするイタズラは翌日、デイリーメール紙、ミラー紙などに一面で取り上げられ、イギリス中を爆笑させました。そして他ならぬバンクシーも、このイタズラを大いに気に入ったのでした。
チャーチルにイタズラして逮捕
ちなみに、この時赤いスプレーでいたずら書きをしたマシューさんは、後日しっかりオマワリにパクられた。
さて、エキシビション「Turf War」の話に戻りましょう。

しかし、このエキシビションで最も物議を醸したのは、チャーチルではありませんでした。この「Turf War」において、バンクシーは壁や警察車両だけでなく、「動物」をキャンバスとして選びました。上の会場写真にも見えますが、このエキシビションのもう一つのキーワードは「BRANDALISM」。これは、「branding(家畜に焼印を押す)」と「vandalism(破壊行為)」を組み合わせた言葉でした。
羊
豚
Turf Warの展示 (banksyunofficial.com)
バンクシーはまるで家畜に押し付けられた焼印のように、羊に白黒の縦縞を、そして豚に青い市松模様をペイントしました。縦縞は囚人、難民のメタファーであり、青の市松模様は、イギリスでは警察を意味します(ついでに、『豚』は『警官』を意味するスラング)。バンクシーは、動物という「生きたキャンバス」を用いて、草を食む草食動物同士の「Turf War(縄張り争い)」を表現しました。

グラスゴーの警官の制服。腰と帽子に市松模様があしらわれている
ところが、このイベントに動物の権利保護を訴える団体が抗議。活動家の女性がストライキを開始します。彼女は自転車のロックを使い、柵に自分の首を繋ぎ、ハンガーストライキを開始します。これによりイベントは中止に。しかしこの騒動はメディアにも取り上げられ、かえってバンクシーの知名度を上げる結果となりました。

翌日のハックニー・ガゼット紙 (banksy.co.ukより)


屋外から屋内へ



一挙手一投足が物議を醸し、その度に存在感を増すようになったバンクシー。彼は同年10月17日、再びイギリスの話題をかっさらいました。
国立美術館、テート・ブリテンに侵入し(開館時間中に客として勝手に入っただけ)、その壁に勝手に自分の作品を展示したのです。

綺麗に額装され、違和感なく周囲の作品に溶け込まされたその作品には、ご丁寧にキャプションまでつけられていました。
クライムウォッチUKが我らの田園地帯を破壊した
決定的瞬間。

クライムウォッチUKが我らの田園地帯を破壊した
キャプションにはこう書かれています。

Banksy 1975-

「クライムウォッチUKが我らの田園地帯を破壊した」
油彩・キャンバス 2003

この新たなコレクションは新ポスト・イディオティック様式の見事な典型例である。作者は、署名のない油絵をロンドンのストリート・マーケットで見つけ、表面に警察の立入禁止テープをステンシルで施した。このような牧歌的風景を汚すことは、犯罪や小児性愛への執着によって我が国が破壊されていくさまを映し出しているともいえよう。人里離れた美しい場所を訪れても、今や性的虐待を受けたり遺棄死体の一部に遭遇したりするのではないかといった感覚に陥るのである。

作家本人より寄贈
テート・ギャラリー所蔵

クライム・ウォッチUKとは、英国で放送されている犯罪ドキュメンタリー番組。しかし、日本の「世界仰天ニュース」なんかとはちょっとニュアンスが違います。この番組ではすでに逮捕・公判の完了した解決済みの事件ではなく、「未解決事件」が多く扱われ、事件のあらましをインタビューや再現ドラマなどを交えて見せた後に、「こんな男に見覚えはありませんか?心当たりのある人は番組、または警察まで」という内容のナレーションで終わるものでした。いわば一種の「密告奨励番組」であると言えます。

バンクシーは、どこかで買った二束三文の油絵に「立入禁止テープ」を付け加えることで、何の変哲もない風景画を、シニカルで意地の悪いものに描き替えました。「善良なるテレビ漬けの一般市民」を揶揄したのです。つまり、「テレビの見過ぎで、美しいはずの田園風景を見ても、もう俺たち英国国民はそれを素直に美しいと思えなくなってしまった」と。

壁から動物へ、そして建物の中へ。バンクシーの活動はついに美術館に届きましたが、バンクシーは決して美術界のシステムの中には取り込まれず、むしろその権威性自体を茶化し続けました。これについて、バンクシーはこんな言葉を残しています。

屋内でもグラフィティライターとして生き残りたいと思うなら、唯一の選択肢(オプション)は自分のじゃないモノの上にも描き続けることだ。

そしてこの年バンクシーは、彼を語る上で絶対に欠かすことのできない、ある重要な作品を残しています。
それについてはまた次回!

<後編へ続く>

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