神は存在するか?宗教vs科学の法廷BEEF(後編)

社会科 | 02/01/2018
伝説の凄腕弁護士と大物政治家が「神の存在」を法廷で争った裁判について、後編。このページから見てしまった人は、まずは前編を見てください。ここから見ても意味わかんないと思います。

前回の内容を踏まえた上で続けます。聖書根本主義(ファンダメンタリズム)がとりわけ根強かったテネシー州デイトンで、裁判は開始されました。ファンクバンドの「デイトン」の出身の方のデイトンではありません。そっちはオハイオ州だから注意。まあそれはいいや。とにかく、テネシー州デイトンは人口2000人に対して9つの教会を持つ、キリスト教がかなり根強い土地だったそう。
この裁判は全米で話題を呼び、2000人の人口の町に殺到した傍聴人の数、なんと人口の倍以上の5000人。「裁判所の床が抜けるから」という理由で、急遽屋外での開廷となりました。

画像左側、座っているのがブライアン。右側で立っているのがダロウ。この写真だけでアガる。
Photo by Wikipedia



それじゃ裁判の内容に入っていきましょう。




1.“神に誓って真実を述べる”か?




裁判官:ダロウさん、ブライアン氏の宣誓を望みますか?


必要ありません。

私は誓います。神に誓って真実を述べると。

いえ、ブライアンさん、私はその言葉を「真実を述べる」とだけ捉えておきますよ。



この通り、直接審問はいきなり冒頭宣誓をめぐる小競り合いから始まりました。ダロウは「神に誓って」という決まり文句に食ってかかったわけです。ここで、石黒マリーローズ 著「聖書で読むアメリカ」を引用します。

議会や裁判での宣誓は神への誓い アメリカの建国者である合衆国憲法制定者たち(founding fathers)は、聖書の原則に則って建国しました。聖書がこの国の基礎の重要部分です。(中略)「アメリカの上院の議場には、In God We Trust」(われわれは神を信ず)という言葉が刻印されています。この精神に則った発言として、元上院院内総務のハワード・ベーカーが、クリントン元大統領の弾劾のときに言った次のようなコ メントがあります。「宣誓をすることや誠実に誓うことは、まさにアメリカの法体系の礎石そのものです」。

石黒マリーローズ「聖書で読むアメリカ」(2006)


日本に住む我々には想像もつかないくらい、アメリカにおいては宗教的バックボーン、とりわけプロテスタンティズムが建国の深いところに根ざしているから、彼らのいう「神に誓って」は、僕ら日本人が結婚式で形式的にやるヤツとはわけが違うんですね。
三権のひとつ、「司法」にも当然こうした「プロテスタンティズムに立脚した建国(=法整備)」という背景があって、冒頭宣誓はその象徴と言えるだろう。そして、ダロウがこの法廷で俎上にあげたかったことは、実はスコープス先生の有罪性じゃなくて、これでした。








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