Pファンク徹底解説4 パーラメント「ザ・クローンズ・オブ・ドクターファンケンシュタイン」

音楽 | 02/21/2019

SFの次はホラーだ!

前回、前々回と、「Pファンク神話」を解き明かすべく、その第1作となる1975年のパーラメントによるアルバム、『マザーシップ・コネクション』についてお伝えしてきました。そして今回はその翌年、1976年リリースの「ザ・クローンズ・オブ・ドクター・ファンケンシュタイン」について記していきます。

御察しの通り、「ファンケンシュタイン」は「フランケンシュタイン」のもじりです。というわけで、まずは「フランケンシュタイン」についてお話ししなくてはなりません。
一般的に「フランケンシュタイン」という言葉から想起されるのはこの姿でしょう。
フランケンシュタイン
1931年映画版「フランケンシュタイン」より。(Wikipediaより)
しかし、彼は「フランケンシュタイン」ではありません。「怪物くん」に出てくるアイツの名前が「フランケン」だったりすることもあって、間違った認識が広がってしまっていますが、彼はあくまで「フランケンシュタインの怪物」。「フランケンシュタイン」は、彼を生み出した男の名です。だからフランケンシュタインはしばしば、“ドクター・”フランケンシュタイン、またはフランケンシュタイン博士と呼ばれます(もっとも、正確には「博士」ではない)。
怪物くん
↑アイツ

「フランケンシュタイン」を軽くおさらい

小説「フランケンシュタイン」は、ロバート・ウォルトンという男が、姉のメアリーに向けて書いた手紙という形式になっています。およそ、こんな物語です。

ロバート・ウォルトンは、イギリス人の北極探検隊の隊長だった。彼は北極点に向かう途中、衰弱した男性を見つけ、保護する。男は名をヴィクター・フランケンシュタインといった。男は、自らの体験をウォルトンに語った。

科学者を志し、ドイツの大学で自然科学を学んでいたフランケンシュタインだったが、彼はある時、狂気に取り憑かれる。それは、「生命の謎を解き明かし、自在に操りたい」というものだった。彼はその野心のために研究を重ね、ついに人造人間の設計図を完成させる。そしてその「理想の人間」を作るべく、材料となる人間の死体を手に入れるために墓を掘り起こし、それをつなぎ合わせて「怪物」を創造する。

「怪物」は体力と知性、そして優しさを持っていたが、その容姿は酷く醜かった。フランケンシュタインはその「失敗」に絶望し、彼を棄てて逃亡する。しかし怪物は強靭な肉体のために生き延び、「創造主」のもとへたどり着く。しかし、人間たちはやはり怪物を拒絶した。孤独な怪物は、創造主に「もう一体の怪物」を作るよう要求する。

一度はその要求を呑んだフランケンシュタインだったが、しかし、「怪物」が増えることを恐れた彼は、約束を反故にする。「創造主」に絶望した彼は、復讐のために彼の家族や友人を次々と殺害して、彼を追跡する。フランケンシュタインは北極海まで逃げ延び、そこで探検家・ウォルトンに保護されたのだった。

フランケンシュタインは、「怪物」を殺すようウォルトンに頼み、救助された船上で息絶える。怪物は「主人」の亡骸の前に現れ、その死を嘆く。そして自らの死に場所を求めて北極海へと消え去る。
1931年版「フランケンシュタイン」トレイラー
1931年の映画版フランケンシュタインは大ヒットし、ユニバーサルはこれをシリーズ化、「フランケンシュタインの花嫁」「フランケンシュタインの復活」「フランケンシュタインの幽霊」…と、続編を次々に発表。怪物は、ユニバーサルのホラー路線、通称「ダークユニバース」の代表的キャラクターとなりました。また、この「自分を生み、棄てた創造主」のプロットは、日本では例えば、生みの親である天馬博士に捨てられた「鉄腕アトム」や、楳図かずお「ねがい」など、多くの作品に受け継がれています。





マザーシップ・コネクションはSFでした。お次はホラーです。




ジョージの恐怖体験、再び

前回、マザーシップ・コネクション編では、ジョージ・クリントンが体験したUFOをめぐる怪現象を紹介しました。そしてどうやら、その体験は彼らの楽曲のヒントとなっているようでした。しかしジョージが体験した恐怖は、実はそれだけではありませんでした。彼はゾンビにも出会っていたのです。

俺は決して運転しなかった。今でも、車の免許は持っていない。だから、地図を読み、道順を計画する役目を担った。俺はいつも細かい州道の最後まで道順を計画してから仮眠したが、目を覚ますと、当初計画した経路とは全くかけ離れた道にいることがあった。俺は次第に、ビリーが運転手に近道を指図していることに気づいた。ビリーは、近道を見つけたと思えば、その道が工事で閉鎖されていようと、ペンテコステ派のヘビ使いが所有する土地を通り抜ける砂利道であろうと、一向におかまいなく進もうとした。俺たちがペンシルヴァニアにいた時、彼はオハイオへの近道を見つけたと思い込んだ。車はバリケードを通過し、道なりに一マイル(約一・六キロ)進むと、小さな街に出た。そこで俺たちが見たものは、ゾンビだかミイラだかが死人の面持ちで、両手を挙げて歩き回っている光景だった。

恐ろしい体験です。「ゾンビだかミイラだか」の群れが歩き回っていたのです。しかし、このエピソードはこう続きます。

俺たちは恐怖に縮み上がったが、照明を見て、それが映画撮影だとわかった。それから約一年後、『ナイト・オブ・ザ・リヴィング・デッド(Night of the Living Dead)』が公開され、それが何の映画だったかわかった。

ナイト・オブ・ザ・リビング・デッドといえば、映画監督ジョージ・A・ロメロの長編デビュー作にしてゾンビ映画の原点。ザ・クラシック・シットでありながら、現在はニューヨーク近代美術館に所蔵される、文字通り映画史に残る傑作です。なんとPファンク一行は、道に迷ってその撮影現場にぶち当たっていたというのです。なんなんだこの斜め上のオチは。
迫りくるゾンビ
1968年「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」より。迫りくるゾンビの皆さん。
まあ、アレです。ジョージのいうことです。無理に信じろとは言いません。以前も言いましたが、彼はヴードゥー教の神、パパ・レグバです(こちらを参照)。人界と神界を行き来するパパ・レグバは現実と虚構の垣根を弄びますが、それはジョージの常套手段でもあるのですから。

さてそんなヴードゥー教は、ゾンビと切っても切り離せません。というか、「ゾンビ」という概念自体がそもそもヴードゥー教から来ています。

ゾンビとヴードゥー教

ハイチのゾンビ
ハイチのゾンビのイラスト。(Wikipediaより)
ゾンビはコンゴで信仰されている神「ンザンビ」に由来します。ヴードゥー教の呪術師は、罪を犯した人間が死に、墓に埋葬された後、死体が腐り始める前にその墓を掘り起こし、掘り出した死者に術をかけ、「ゾンビ化」してしまうのです。そして死者を意のままに操り、奴隷として働かせ続ける。死してなお魂を解放されずに使役させられる、恐ろしい呪術がヴードゥー教には存在します。

この「ゾンビ化」はヴードゥー教において、罪を犯した人間に対する一種の刑罰で、地域の秩序を維持するための犯罪抑止策として機能していたようです。「悪いことしてるとゾンビにされるぞ」っていうやつですね。実際にゾンビが作れたのかどうかについては、植物学者ウェイド・デイヴィスが著書「蛇と虹」の中で良くも悪くも詳述しているので、本サイトでもいずれ紹介したいと思ってます。

さて、ヴードゥーのボコール(呪術師)は、墓を掘り起こし、意のままに操りました。ここに、あるものとの類似性を感じずにはいられません。そう、フランケンシュタインです。
墓荒らしフランケンシュタイン
1931年「フランケンシュタイン」より。素材となる死体をDIGっている。
もっとも、『クローンズ・オブ・ドクター・ファンケンシュタイン』にヴードゥー教へのオマージュが含まれている」といった確たる情報は、今のところ、当サイトとしては確認できていません。もし知ってたら教えてください。しかしながら、本作にはやはり、フランケンシュタインという「表向きのテーマ」の裏側にぴったりと張り付いた「ヴードゥー教のゾンビ」の影を、僕は感じずにはいられないのです。

もっとも、ヴードゥーのボコールが魂を奪ったのに対し、ドクター・ファンケンシュタインは魂(ソウル)を吹き込んだわけですけどね。

フェラ・クティのゾンビ

ちなみにですが、このアルバム『クローンズ・オブ・ドクター・ファンケンシュタイン』が発売された1976年、ブラックミュージック史にとって、そしてゾンビ好きにとって、とても重要な曲が発表されています。
その活動において政治的主張を隠さなかったフェラ・クティの代表曲のひとつ、その名もまさに「Zombie」。それはこんな歌詞で構成されます。

Zombie no go go, unless you tell am to go
Zombie no go stop, unless you tell am to stop
Zombie no go turn, unless you tell am to turn
Zombie no go think, unless you tell am to think

ゾンビは進まない、あなたが「進め」と命令するまで
ゾンビは止まらない、あなたが「止まれ」と命令するまで
ゾンビは曲がらしない、あなたが「曲がれ」と命令するまで
ゾンビは考えない、あなたが「考えろ」と命令するまで

ナイジェリア政府の腐敗を批判し、権力と対立したフェラ・クティは1974年、逮捕、投獄の憂き目に遭います。そしてその釈放後に発表された一連の作品のうちの一つがこの曲。彼は権力の意のままに動く軍隊を「ゾンビ」に例えて批判しました。

ミュージシャンとして、また政治活動家としての彼の偉大さに触れるには紙幅が足りないので、さしあたって本テキストではこの「ゾンビ」という表現にのみ触れますが、「何も考えず、ただ命令に従って動くだけ」というゾンビ像は、人間的理性を失い襲いかかってくる、「アメリカ映画におけるゾンビ」ではなくむしろ、やはり「ヴードゥー教におけるゾンビ」のディティールであるといえます。
さて、楽曲の歌詞を見ながら本作のストーリーを紐解いていきましょう。
一曲目は本作のプロローグ的トラック、『Prelude』です。




Funk upon a time
In the days of the Funkapus
The concept of specially-designed Afronauts
Capable of funkatizing galaxies
Was first laid on man-child
But was later repossessed
And placed among the secrets of the pyramids
Until a more positive attitude
Towards this most sacred phenomenon
Clone Funk
Could be acquired

There in these terrestrial projects
It would wait, along with its co-inhabitants of kings and pharaohs
Like sleeping beauties with a kiss
That would release them to multiply
In the image of the chosen one:
Dr Funkenstein
And funk is its own reward
May I frighten you?


ファンク・アポン・ア・タイム、 Funkapusの時代の事
宇宙ファンク化計画を遂行する
特命を受けたアフロノーツの構想は、
人類に託されるはずだった。

だが計画は中断され、
ピラミッドの謎のひとつとして封印された。
この最も神聖なる現象を、
全ての人が受け入れる準備が整うまで。

神聖なる現象・・・
すなわち「クローン・ファンク」の誕生である。

地球上の数々のプロジェクトの中、
それは、ファラオにに仕えた民と共に取り残されていた。
キスが眠りの森の美女を目覚めさせたように、
彼らを解放し、増幅させるのだ。
選ばれし者、ドクター・ファンケンシュタイン。
ファンクはそれ自体が報酬である。
恐怖への覚悟はできているか?

「ファンク・アポン・ア・タイム(funk upon a time)」は「ワンス・アポン・ア・タイム(once upon a time)」、「アフロノーツ(afronauts)」は「アストロノーツ(宇宙飛行士/astronauts)」のもじりです。『Prelude』によれば、この「アフロノーツ」、アフリカ飛行士による「宇宙ファンク化計画」は古代の昔に中断され、それはピラミッドの謎とともに封印された、らしいです。
しかし時は満ちました。人々にそれを受け入れる準備ができた今こそ、ようやくその凍結された計画を再び実行に移す時。すなわち、まさしく今こそが「クローン・ファンク」誕生の時だ、というわけです。

そしてその「クローン・ファンク計画」を実行する者こそ、ドクター・ファンケンシュタイン。彼は、キスが眠りの森の美女を目覚めさせたようにクローン・ファンクを蘇らせてしまうのです。

普通の感覚なら2行目で「ははーんなるほど何言ってんだろう」ですが、まあ、ここまで読まれた人ならもう免疫があるに違いありません。とにかく本作はのっけからぶっ飛びまくりの設定をぶち込んできます。ドクター・ファンケンシュタインによる、ファンク人間量産計画。前作で繰り広げた宇宙的世界観に、エジプト文明とクローン計画とホラー映画をマッシュアップしたのです。

そして、前作登場のスターチャイルドこそ、ドクターファンケンシュタインのクローンの一人でした。マザーシップ・コネクションは、ただのプロローグに過ぎなかったのです。
スターチャイルド ▲実はクローンだったスターチャイルドさん。
さて、プロローグを踏まえた上で改めてアルバムのアートワークを見てみましょう。
clones of dr funkenstein表ジャケ
おかしな格好をした男がこちらを見つめています。演ずるはジョージ・クリントンです。彼の後ろには無数のボタンが並んでおり、何か宇宙チックなラボラトリーのようです。その左手には壁に括り付けられた男が。そしてこのアートワークは裏面にそのまま続いており、両面で一枚の絵になっています。
clones of dr funkenstein裏ジャケ
その通り、本作のジャケットはまさに、ドクター・ファンケンシュタインがクローン・ファンクを作り出しているシーンだったのです。繋がったね!




プロローグを終え、アルバムは「Gamin On Ya!」に突入します。それはこんな歌詞です。


Funkenstein is a fag
He thinks he know everythang
Funkenstein is a fool
He thinks that he can break the rules


ファンケンシュタインはどうかしてる
自分が全知全能だと思い込んでる
ファンケンシュタインはどうかしてる
自分がルールをぶち壊せると思い込んでる

繰り返される「Gamin’ on me」は前々作「チョコレート・シティ」からの流用であり、また、「People keep waiting on a change」以降のラインも過去作「Come In Out Of The Rain」からの流用。それらを除くと、この楽曲はファンケンシュタイン博士のマッドサイエンティストぶりが主題。そして、次の「Dr.Funkenstein」にて、ようやくご本人が登場します。

#3.Dr.Funkenstein

They say the bigger the headache, the bigger the pill, baby
Call me the big pill
Dr Funkenstein
The disco fiend with the monster sound
The cool ghoul with the bump transplant

デカイ頭痛にはデカイ頭痛薬が必要になるだろ?
俺のことは「バカでかい頭痛薬」と呼んでくれ
ドクター・ファンケンシュタイン
怪物サウンドを持つディスコ中毒者
ガツンと臓器移植させるクールな墓荒らしだ

「クールな墓荒らし」とは、フランケンシュタインでしょうか、それともヴードゥー教のボコールでしょうか。彼は冒頭から期待を裏切らないマッドサイエンティストっぷりをひけらかし、破綻した理屈を早口にまくし立てます。そして、大勢のメンバーによるチャントが始まりますが、このパートこそがクローン・ファンクたちの言葉です。

We love to funk you, Funkenstein
Your funk is the best
Take my body, give it the mind
To funk with the rest
Hit me with the one and then
If you like, hit me again
We love to Funk-a-stein


あなたをファンクするのが大好き、ファンケンシュタイン
あなたのファンクは最高
私の体にファンクするための心を吹き込んで
ソレ(the one)で私を撃ち抜いて
あなたさえ良ければ、もう一度
愛してる、ファン=カ=シュタイン


この歌詞に忍ばせられた悪ふざけにお気づきでしょうか。一見すると、ドクター・ファンケンシュタイン博士に「ファンク=生命」を吹き込まれたクローン達による、「ご主人さま賛歌」です。しかしこの歌詞は明らかに、なにやらものすごく卑猥な含みを持たせてあります。なんだったら、歌詞の中にある「funk」をそっくりそのまま「f*ck」に置き換えたっていいでしょう。

しかしそれもそもはず、ドクター・ファンケンシュタインはのちにクローン・ファンクを「妻」としてデビューさせることになります。映画「フランケンシュタインの花嫁」をもじった、「ファンケンシュタインの花嫁(The Brides of Funkenstein)」という女性ユニットがPファンク一派から登場するのです(この時点ではまだ加入していないなので、この曲のコーラスには参加していない)。
brides-of-funkenstein
ブライズ・オブ・ファンケンシュタインのお二人。最高のアー写。
そして、次の楽曲では再びクローン達の大合唱が始まり、クローン達が「We are children of production(我々は作られた子供達だ)」と高らかに歌いだします。まさしく、ザ・クローンズ・オブ・ドクター・ファンケンシュタイン。

意外なことに、「ドクター・ファンケンシュタイン」のストーリーに即した楽曲はここで終わりです。マザーシップ・コネクションよろしく、ここまでが今作のコンセプトの説明、そしてこの後「Gettin’ to Know You」からが、純粋に音を楽しむファンクの時間ということでしょう。




#7.EVERYTHING IS ON THE ONE


さて、本作のドクター・ファンケンシュタインを巡るストーリーには直接関係ありませんが、この楽曲に触れないわけにはいきません。たとえ本作からのシングルである「Do That Stuff」を差し置いても。「The One」はPファンクにとって、とても重要な言葉だからです。

この「The One」は例えば、本作の中では「Hit me with the one and then(ソレ[the one] で私を撃ち抜いて/突いて)」というフレーズに用いられています。ここで言われている「the one」は、①ファンクのリズム、②ちんこ、どちらにも聴こえるようなダブルミーニングになっています。「the one」はその都度意味を変え、Pファンクの歌詞に度々登場します。

では「the one」とは何か?
ファンクのゴッドファーザー、ジェームス・ブラウンは、自身の代表曲のひとつ、「Papa’s Got a Brand New Bag」についてこう語っています。

あの曲で、ひっくり返ったんだ。皆をひっくり返した。2拍目と4拍目を中心にして書いてある曲とは反対に、1拍目と3拍目を中心にした。ただ、それだけでなくて、ゴスペルとジャズも入れて、全ての規則に逆らった。
いいか、あれは俺が発明したんだ。ひとつめに乗れ(Get on The One)っていうのは

リッキー・ヴィンセント「ファンク 人物・歴史・そしてワンネス」より

ブーツィー・コリンズはかつてジェームス・ブラウンと活動を共にしていました。ジェームス・ブラウンのバックバンドを担当していた「フェイマス・フレイムズ」がJBのワンマンぶりに耐えかね、ストライキを起こした際に、急遽代役でとして揃えられたのが「JBズ」でした。そして、ブーツィーはその結成メンバーでした(もっとも、それ以前にも面識はあったらしい)。加入当時、彼はわずか18歳でした。そして結成間もない頃、JBに「ちょっと弾いてみろ」と言われた彼は、自身のヒーローであるジミ・ヘンドリックスに影響を受けた、サイケデリックな演奏を見せました。すると、彼はJBにこう言われたそうです。

「おい、ザ・ワンはどこにあるんだ」

ブーツィーがJBにたしなめられた、この「ザ・ワン」こそが、JBの発明したファンクのリズムそのものでした。「一拍目(ザ・ワン)を強調しろ」という、いわばファンクの真髄を、JBはブーツィーに伝授したのです。ブーツィーはのちにJBズを脱退し、Pファンクに加入することになります。そしてそれは、この「The One理論」がPファンクに持ち込まれた瞬間でもありました。The One伝来。

そして「The One」は単なる音楽理論を超え、ジョージ・クリントンという男一流の言葉遊びによって、ファンクを司る「哲学」へと昇華されることになるのです。



次回、来週公開予定!


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