Pファンク徹底解説2 パーラメント「マザーシップ・コネクション②」

音楽 | 02/15/2019
これは、Pファンク神学概論1 パーラメント「マザーシップ・コネクション①」の続編です。必ず①を読んでから、この記事を読み進めてください。

「ウフーラ」が遺したもの

1967年、彼女はプロデューサーに降板を申し出た。主要キャラクターの中で冷遇されているという不満を持っていたところに、ブロードウェイからのオファーが重なったとなれば、それは致し方のないことだった。なにより、ブラウン管やスクリーンでなく、ミュージカルの方が「歌手出身」の「黒人」である自分には向いているとも思っていた。ドラマや映画における黒人女性の登場シーンといえば、そのほとんど全てが「メイド」と決まっていた時代において、「凛々しく気品ある知的な将校」の役どころを黒人女性が演じることは、あまりにセンセーショナルだった。

彼女の名はニシェル・ニコルズといった。「スター・トレック」に「ウフーラ」として出演し、黒人として史上初めて、テレビドラマにおいて主要なキャラクターを演じた人物である。
ニシェル・ニコルス ウフーラ
ウフーラ役のニシェル・ニコルズ。(Wikipediaより)
プロデューサーに降板を申し出た数日後、彼女は知人に「あなたの大ファンがあなたに会いたがっているのだが、会ってくれないか」と訊ねられた。「いいわよ、もちろん」。ただのファンサービスのつもりで、彼女は二つ返事で快諾した。すると彼女のもとへ、笑みをたたえた一人の「ファン」が歩いてきた。彼女は驚き、口を閉じておくことすら忘れた。男の顔をよく知っていたからだ。いや、アメリカ中の黒人が彼のことを知っていた。ウフーラの大ファン。それは、公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師だった。
M.L.キング牧師
Dr. マーティン・ルーサー・キング・Jr (Wikipediaより)
実際、スタートレックの大ファンであったキング牧師は、自分と妻、子供たちがいかにスター・トレックのファンであるかを彼女に伝えたあとで、彼女にこう話した。

ニシェル、降りないでくれ。君がどう思うにせよ、君は今や「象徴」なんだ。君は史上初めての、ステレオタイプでない黒人のロールモデルなんだ。君がいなくなったら、きっと彼らはブロンドの白人女性をそこにあてがうだろう。そうしたら、君の成し遂げたことは存在しなかったも同然になってしまう。君が象徴するものは、君がウフーラを続けてこそ真実になりうるんだ。

キング牧師は、ブラウン管の中で繰り広げられる、黒人と白人が対等の立場で同じ宇宙船に乗る近未来に、まさしく彼の言葉を借りれば「昔は奴隷だった人々の子孫と、昔は奴隷の所有者だった人々の子孫が、同じテーブルに一緒に座ることができるようになるという夢」を重ね合わせたに違いなかった。
この説得を受け、ニシェルはスター・トレックへの出演を継続することとなる。キング牧師が殺害される前年の出来事である。

ウフーラの存在は、のちの黒人社会に多大な影響を与えた。例えば、ウフーラに憧れた、放送開始当時11歳のカリンという少女は、当時を振り返ってこんなことを言っている。

「私はテレビで、一人の黒人女性に出逢ったの。驚いたわ、だって彼女はメイドじゃなかったのよ!」

この少女はのちに、「ウーピー・ゴールドバーグ」という名で世界に知られることになる。

あるいは、別の男性はこんな風に言っている。

実現するかも知れない、さまざまな可能性というものを感じさせてくれた。人類がどうやって生き延び、生活し、進化し……そういう部分に惹かれたね。おまけに、あの宇宙船にはちゃんと黒人が乗ってた![中略]とにかく、「スター・トレック」を見て、俺はマザーシップを作った。ブラックがもっとたくさん乗ってる宇宙船を

お待たせしました、Pファンクのお話です。




ファンキーでない未確認飛行物体

さて、前回紹介した「Mothership Connection (Starchild)」に続いて、3曲目「Unfunky UFO」を読み解いていきます。アンファンキーUFO。ファンキーでない未確認飛行物体(※1)、です。


この曲はソロ歌唱パートと合唱パートに明確に分かれています。これを「人間」と「UFO」の心情・台詞として見ると、この歌の内容は非常にわかりやすいでしょう。

Stupidly I forced a smile
My composure was secure
I wore a silly grin from ear to ear
A smile they saw right through
Oh, but then like a streak of lightning it came
Filling my brain with this pain
Without saying a word this voice I heard
“Give up the funk, you punk”

Unfunky kind of UFO
Here from the sun
You’ve got the groove and we want some
We’re unfunky and we’re obsolete
And we’re out of time
Gonna take your funk and make it mine

You’ve got all that is really needed
To save a dying world from its funkless hell

You could feel so much better
If you would show me how to funk like you do

Deep in pain I called the names
Of some funkified friends of mine
And they were on the road and gettin’ it on
And groovin’ for hours live
Oh, like a streak of lightning it came
Filling my brain with pain
Without saying a word, this voice I heard
“Give up the funk, you punk”

I don’t know where but they were near
They took me by surprise
They crept upon me early this morning
Right before my eyes and they were saying
“Yeah, yeah, yeah, yeah, yeah, sweet old music”

<男>
俺はバカみたいに作り笑いをして
落ち着きを保ってた
右耳から左耳まで口を釣り上げてた
その笑った顔を奴らがずっと見てたんだ
まばゆい光が俺を照らした
俺の頭は割れるような痛みで満たされた
その時、頭の中に声が響いてきたんだ
「ファンクを“ギブアップ”しろ、この野郎」

<UFO>
アンファンキーなUFO
太陽のもとからやってきた
お前のグルーヴ、そいつが欲しい
俺たちはアンファンキーで時代遅れ
切羽詰まってる
お前のファンクを俺たちのものにしなきゃ
お前には素質がある
ファンク不足で死にかけている世界を救う素質が
痛みが和らいだはずだ
お前がやってるファンクを俺たちに見せてくれたら

<男>
ひどい頭痛の中、俺はファンク仲間の名前を呼んだ
そしてみんなで路上で何時間もファンクしてたんだ
まばゆい光が俺を照らした
俺の頭は割れるような痛みで満たされた
その時、頭の中に声が響いてきたんだ
「ファンクを“ギブアップ”しろ、この野郎」

<男>
そこがどこかはわからなかったが、奴らはすぐ近くにいた
俺は不意打ちを食らった
目がさめると、奴らに取り囲まれてた
俺の目の前で奴らは言ったんだ
<UFO>
『イエー、スウィート・オールド・ミュージックだ』

ストーリーはこう。とんだファンク野郎がUFOを目撃します。それもアンファンキー、つまりファンクを失いつつあるUFOを。そして、そんなUFOに「ファンク」を要求されるのです。「お前にはファンク不足で死にかけている世界を救う素質がある」と。

この「ひどい頭痛の中、俺はファンクの仲間の名前を呼んだ/そしてみんなで路上で何時間もファンクしてたんだ/その時まばゆい光が(以下略)という、ヤバイと思って友達を呼んだけど、みんなでしっかり同じ仕打ちを受けただけというのが最高ですね。さらに最終的には完全に攫われかけている。そして、なんか伝授できたっぽいです。

この寓話から読み取れるのは、やはりファンクが何らかのエネルギーであるという点でしょう。アンファンキーである(=ファンクが欠乏している)ことは、どうやらこのUFOにとって一大事であることが、「Gonna take your funk and make it mine(お前のファンクを俺たちのものにしなきゃ)」というラインから読み取ることができ、ともするとファンクがこのUFOの動力エネルギーであることすら匂わせるのです。

前編でもお伝えした通り、Pファンクにおける「ファンク」は「エネルギー」を象徴しています。そしてその哲学はパーラメントの次作「Clones of Dr. Funkenstein」以降、さらに深まっていきます。
ファンクを聴くと、自然と腰が、首が、つま先がリズムを追ってしまう。ファンクは人を踊らせる。つまりファンクは人を動かす。動力である。だったらUFOくらい浮く。理屈が通ってますね。

アンアイデンティファイドフライングオブジェクト
アダムスキー型UFO。見ての通り、ファンクの力で浮いている。 (Wikipediaより)
とある解説では、アルバム「Unfunky UFO」におけるファンク観を、こんな的確な言葉で表現していました。いわく、「Funk as a limited resource(限りある資源としてのファンク)」です。

さて、そんな「ファンカー meets 未確認飛行物体」なこの曲ですが、どうやらこれ、ジョージが体験した怪現象に基づいているようです。




怪奇現象、レグバ、トリックスター

リッキー・ヴィンセント 「ファンク 人物・歴史・そしてワンネス」の中で、ジョージのこんな発言が取り上げられています。

跳ねながら道路を横切っていく光が見えた。何度か見えたんで、「俺たちがちゃんと許可を取らないでファンクを演奏してるもんだから、マザーシップが怒ってるみたいだな」と俺が言ったんだ。すると、いきなりその光が車に当たった。街灯は全部消えてしまっていて、他の車は一台もいなかった…「ブーツィー、アクセルを踏んでいいぞ」って俺は言ったよ。

リッキー・ヴィンセント「ファンク 人物・歴史・そしてワンネス」より
「ファンク仲間」と一緒にいた時に「光が見えた」。『Unfunky UFO』と符合するかのようなエピソードです。ジョージは実際にUFOに遭遇していたのです。

…まあいわゆる、「信じるか信じないかはあなた次第」というやつなんですが、このエピソードにジョージ・クリントンの、ジョージ・クリントンたるゆえんを見ることができます。彼の「トリックスター性」です。

彼の言うことをいちいち額面通りに受け取ることは僕も勧めません。真正面から信じるのは違うかなと。適当だし金にもルーズです。例えば僕も「あのマザーシップ、100万ドルもするようには見えねーなー…」とか、ないわけではないです。ただ、かと言って、単なる利己的なペテン師でも、ホラ吹きおじさんでもないのが彼の特殊なところなのです。
あえて表現するならば、彼は「信用すべき信用ならざる男」とでも言いましょうか、真実のように嘘をつき、嘘のように真実を言う男なのです。そして、それこそが彼の持つ人を惹きつける引力なのです。そんな彼をして、丸屋九兵衛氏は「ジョージはヴードゥー教の神、パパ・レグバに似ている」と語っています。

パパ・レグバ。とにかくちんこが気になる。(Wikipediaより)
ヴードゥー教は古くから黒人コミュニティに伝わる民間信仰で、アフリカを起源としていますが、彼らが奴隷としてアメリカ大陸に渡った16世紀以降は、ハイチをはじめとするカリブ海周辺でも独自の発展を遂げたことで知られます。そんなヴードゥー教の最も有名な神が、十字路に住む神「パパ・レグバ」。

彼は私たちのよく知るエピソードにも登場します。彼はある田舎町の十字路で、一人の男と契約を交わしました。そして彼はその男の魂と引き換えに、誰も聴いたことのないようなギターの技術を男に与えました。男の名はロバート・ジョンソン。伝説のブルースマンにまつわる、かの有名な「クロスロード伝説」は実際、パパ・レグバの設定を下敷きにしていると言われています。

「悪魔に魂を売り渡した」とされるロバート・ジョンソンはその後、死亡届の死因欄に「No Doctor」という不可解な記述を遺し、1938年、27際でこの世を去ります。そして彼の音楽はのちにリズム&ブルース、さらにはロックンロールを生み、文字通り、世界を変えることになります。また、ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリスン、ジャニス・ジョプリン、ブライアン・ジョーンズ、カート・コバーン、エイミー・ワインハウスなど、名だたるアーティストがいずれも「27歳で」夭折するたび、彼の「クロスロード伝説」は補強されていくこととなります。

多神教であるヴードゥー教では、神に祈りを捧げるにはまず、パパ・レグバに申し立てをしなくてはなりません。レグバは人界と神界、つまり「二つの世界」を繋ぐ神で、いわば神への「仲介人」の役割を担います。だから目当ての神に祈りを捧げる際には、まずレグバを呼ばなくてはならないのです。ゆえに彼は、二つの世界が交差する地点、つまり十字路に住んでいると言われます。

クロスロード伝説をはじめ、パパ・レグバにまつわる逸話は、どこか一種の「現実感のなさ」をたたえています。それも、全てが嘘というわけでもなく・・・という奇妙に絶妙な加減で。その性質は、まさしくジョージ・クリントンにそっくりなように思えないでしょうか。

前述のUFOにまつわるジョージのエピソードも、本当は嘘かもしれないし、嘘ではないかもしれない。もしくは、嘘が本当だというのが本当で本当は嘘というのが本当で本当の嘘は嘘の嘘の嘘の嘘なのかも・・・いや、ひょっとするとそもそも嘘と真実に境目などないのかも。まるでパパ・レグバが人界と神界を自在に行き来するように、ジョージ・クリントンも現実と虚構を自在に行き来するのです。

<後編へ続く>


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