stillichimiya特集③ ― アジア、一宮、三千世界

音楽 | 11/10/2021
本記事の剽窃、動画等への転載を固く禁じます。最大限配慮しましたが、それでもなおこの記事の内容に間違いがあった場合、誤った情報がさらにインターネット上に拡散してしまうためです。すいませんが僕はそこまで責任とれないので、必ず一次ソースを参照してください。


この記事は「stillichimiya特集 第二弾」の続編です。第一回第一回と第二回を読んでないとあまりよくわからないと思うので、読んでない場合は一度そちらに戻られることをお勧めします。

stillichimiya特集① ― stillichimiyaとはいかなる「現象」だったのか? stillichimiya特集② ― おみゆきCHANNEL、スタジオ石、深化するソロ活動

前回は、およそ8年ぶりのフルアルバム「死んだらどうなる」の話で終わりました。DJ KENSAWが「わしらただ遊んでるだけや」という名文を寄せたこのアルバムに詰め込まれた、極限まで研ぎ澄まされた彼らのピュアな内輪ノリは、ともすると「ヒップホップスラング」が本来的に持つ力に限りなく近いものだったのかもしれません。
死んだらどうなる
stillichimiya「死んだらどうなる」(2014)
というそんな怪盤を引っ提げて、stillichimiyaはツアーに出ます。この模様はのちに発売されるDVD「生でどう。」にまとめられましたが、このタイトルのロゴが明らかにあの、某国民的アニメスタジオの映画のキャッチコピーで、一体なんなんだと思いました。そういえば、「スタジオ石」という名前も某国民的ジブリへの「敬意」だったとのことです*。ファンなんでしょう。

スティルイチミヤ つあー「生でどう。」ポスター
ツアー7箇所目が松本「りんご音楽祭」。「土偶サンバ」を披露
2014年から2015年前半にかけては、田我流とBIG BENの「墓場のDigger」コンビはMIX CD「墓場掘士」を発売*、YOUNG-Gは「PAN ASIA Vol.2 BLACK ASIA」をリリース*、スタジオ石は「スペシャるAD マロくん」というミニドラマを制作しSPACE SHOWER TVで放送*、かつてのメンバーmestarはパン屋を開店*。それぞれの動きは並行して続いていました。
墓場堀士
「墓場堀士」(2014)。リサイクルショップ a.k.a. レコードの墓場よりDIGした音楽をコンパイル
PAN ASIA vol.2
「PAN ASIA vol.2」(2015)。YOUNG-GはRAP IN TONDO 2参加以降、一貫してアジアを掘り続ける
「スペシャるADマロくん」。2015年1月30日よりSPACE SHOWER TVで放送開始。
stillichimiya内の別ユニット・EXPOの「電影少年」と連動したようなストーリー

そして、結成11年を迎え、ますます混沌とするstillichimiyaの軌跡をまとめようという意識があったのでしょうか、この年の7月、stillichimiyaの初期音源をDJ KENSEIがMIXした「stillichimiyaの流れ」が発売されました*
stillichimiyaの流れ
「stillichimiyaの流れ」(2015)。2ndアルバムからこの時点までの音源をコンパイル


stillichimiyaの流れ
DJ KENSEIとstillichimiya
そしてこの待望の初期音源MIXのリリースに日本のファンが沸いている頃、スタジオ石の二人は、タイ・バンコクへ飛んでいました*





「バンコクナイツ」


2015年、空族は新たな映画「バンコクナイツ」の製作に乗り出していました。

山梨県甲府市を舞台に展開された、2011年の前作「サウダーヂ」が掲げたテーマは「土方・移民・ヒップホップ」でした。そして空族は、タイを舞台に据えた今作のテーマに「娼婦・楽園・植民地」を選びました。
バンコクナイツ
映画「バンコクナイツ」(2017年公開)

「サウダーヂ」において、主人公・精司は、出口の見えない鬱屈した生活を送る一方で、タイからやってきた出稼ぎの娼婦に入れ込み、彼女の生まれた異国の地に「楽園」を夢想しました。それでは、精司が夢想したタイという国は本当に楽園だったのか。「バンコクナイツ」はいわば、サウダーヂの「その先」でした。

「じゃあ俺の言ってることは合ってるってわけ?」

「合ってるさ。だから掘って掘って掘りまくれし。違う、仕事じゃねえよ。仕事じゃなくて。掘って掘って掘りまくりゃ真下はブラジルだし、左ちょっと曲がりゃタイだよ。要するに、世界はこんな簡単に繋がってるってわけ」

「サウダーヂ」(2011)より、精司とビンの会話
相澤虎之助が「構想10年」と語る*この大作の、最初期の現地リサーチが2008年〜2009年頃になるのですが、第1弾で書いた通り、その時空族が偶然にもタイ・バンコクで出会っていたのが、海外放浪中のMr.麿でした*1

「バンコクナイツ」の物語は、タイの首都バンコクの一角に存在する「タニヤ通り」から始まります。ここには「カラオケ」と呼ばれるクラブがひしめき、日本人の客引きが日本人を捕まえ、日本語で店を斡旋し、そして娼婦たちは男を流暢な日本語で出迎えるのでした。俗に「日本人専用の歓楽街」とも呼ばれるこのストリートのとある店で、ナンバーワンを努める「ラック」と、彼女をよく知る元自衛隊員の日本人男性「オザワ」。物語は主にこの二人を中心として展開されてゆきます。
ラックとオザワ
「バンコクナイツ」より。ラックとオザワ
空族は映画製作に際し、その土地と、そこに住まう人々への徹底的な取材を重ねることで知られますが、富田克也監督はこの「タニヤ通り」のリサーチを深める中で、奇しくも「サウダーヂ」にも通じる、ある事実に突き当たりました。

富田「バンコクにある日本人専門の歓楽街、タニヤ・ストリートをセットでごまかさずにリアルな街で撮る、ということだけは前もって決めて、ちょうど5年くらい前にリサーチを開始したんですが、まず夜のバンコクでタクシーやトゥクトゥクに乗ると、運転手さんたちの90%以上が〈イサーンから来た〉って言うわけです。夜の(歓楽街で働く)女の子たちも80%近くがイサーン出身だと言う。それでだんだん僕たちの間で〈イサーンって何だ? どんな場所?〉と引っ掛かりはじめたんです」

MIKIKI |「バンコクナイツ」公開記念! 坂本慎太郎 × YOUNG-G × 空族 × Soi48、
タイ・イサーンに魅せられた男たちの〈サウダーヂ〉*/松永良平
バンコクの歓楽街で働く人々の多くが「イサーン」という地域からの「出稼ぎ」でした。2011年の「サウダーヂ」において空族は、ブラジル、フィリピン、そしてタイから日本へやってきた出稼ぎ労働者たちにフォーカスしましたが、彼らはここでもやはり、「都市と地方の格差」に直面することとなります。

というわけで、バンクシー編以来の地図を作りましたので見てみましょう。
タイ周辺の地図。
バンコクから東北に位置する、斜線で表した部分が「イサーン」。メコン川を挟んで、隣国ラオスに隣接する。
バンコクから東北に位置するこの斜線の地域が「イサーン」地方。そしてここに大きく横たわり、タイとラオスを分かち、カンボジアへと流れているのが、東南アジア最大の河川「メコン川」です。

空族はリサーチから得たこうした事実や地理的背景を、物語の中に織り込みました。そうして生まれたのが先述の「イサーン地方出身の娼婦・ラック」というキャラクターでした。作中においてラックとオザワは、あるお互いの事情からともに、バンコクからイサーン地方へと旅立つことになります。

イサーン地方、そしてラオスには、土着の伝統音楽がありました。それが「モーラム」です。

「モー(達人)」「ラム(語り)」、すなわち「達人の語り」と直訳することのできるこの音楽は、現地のラオ族の精霊信仰などに起源をもつもので、独特のリズムと、「ケーン」という笛(主にイサーン地方の音楽で用いられる)、ピンという弦楽器などを特徴とします。
モーラム
モーラムの語り。中央に立つ男性が演奏しているのが、楽器「ケーン」(Wikipediaより)
モーラムは現在、ポップミュージックなどとも合流しながら、タイ中で広く親しまれていますが、この「モーラム」が都会のバンコクまで広まった理由もまた、先述の「出稼ぎ」の影響でした。空族は「バンコクナイツ」に、この「モーラム」を取り入れることを決定。そして、タイ音楽に造詣の深いDJユニット「Soi48」の協力のもと、奇跡的にも、タイの人間国宝、アンカナーン・クンチャイの出演を取り付けます。

アンカナーン・クンチャイさん
「バンコクナイツ」より、ラックとアンカナーン・クンチャイ演じる占い師が対話するシーン
ここでアンカナーンさん演じる占い師は「言葉がしだいにメロディー得てゆき、やがて歌となる」という、作中における白眉のシーンを演じ切ります。なんというか、音楽のプリミティブな力というか、原始やはり音楽はある種の宗教的儀式であり、まじないだったのだということを感じずにはいられない、文字通り「神がかった」場面なんです。

このシーンの撮影に際して、富田監督は「一家の女性がみんな娼婦にならざるを得ないという事情を慰めるようなモーラムをお願いします」とだけ伝えたそうです。アンカナーンさんはそれに対し「わかりました」と一言だけ答え、祭壇に手を合わせはじめました。撮影班は慌てて撮影を開始。そのまま一発OKとなりました。

そして、アンカナーンさんが演じたこの「言葉がしだいに歌になる」というこのシーンは、そっくりそのまま、前作で田我流が演じた「どうしようもない日常への不満がやがてフリースタイルラップとなる」というシーンに重なるものでした。やはり空族は、リアルとフィクションの境を超えた先にある「フィクションにしか到達し得ない現実感」こそを、フィルムにおさめてしまうのでしょう。





ルークトゥン


本当に良い
本当に良いと言ったじゃん

田舎はいいと 皆が言う
早起きして
のんびり鳥の声を聴き
バニヤンの木の下で昼寝する
枝を枕に足組んで寝る
風は緩やかに吹き続き
空気はきれいでエアコンいらず

ルンペット・レームシン「田舎はいいね」
タイにはモーラムのほかにも「サムチャー」や「サイヨー」など、様々な音楽ジャンルが存在しますが、モーラムのほかにもうひとつ、「バンコクナイツ」において重要な音楽があります。それが「ルークトゥン」です。

ルークトゥンは「田舎者の歌」あるいは「田舎の子」という意味を持つ音楽ジャンルで*、1960年代半ばにその名が確立されたといわれます*。これはモーラムと違い、特定の音楽形式を指すものではなく、田園風景や、田舎と都市の対比など、「田舎を歌った歌詞である」ことが大きな特徴であるとされます。*

アメリカには「ヒルビリー」という音楽ジャンルが存在しました。この音楽は、1950年代にロックンロールと交わり、エルヴィス・プレスリーに代表される「ロカビリー」という革命的な音楽表現を生み出したことでよく知られます。この「ヒルビリー」という言葉はもともと「山の地方の人」といった意味を持つ言葉で、そこから転じて、カントリーミュージックの中でも特に田舎っぽい、いなたい音楽の一群が特にそう呼ばれるようになりました。含意としては、ちょっとした侮蔑や揶揄のニュアンスがあったようです。おそらくタイにおける「ルークトゥン」という呼称は、アメリカ音楽における「ヒルビリー」に似たものだったのでしょう。

先に述べた通り、ルークトゥンは「田舎を歌うこと」がジャンルの要件となるもので、そこに音楽的定型はあまりありません。つまり、とかく「歌詞」が重視されるもので、それが歌謡曲風であれ、ポップス風であれ、あるいはラップであったとしても、それが「田舎を歌っている」内容であれば全てルークトゥンたり得るそうです。

日本に馴染みの深いところだと、「タイ版AKB48」こと、AKBグループのひとつであるBNK48が2020年1月に発表した楽曲、「โดดดิด่ง(ドーディドン)」のモチーフとなっているのがこの「ルークトゥン」で、PVの中では牧歌的な田園風景が象徴的に描かれています。ちなみに歌詞もイサーン語(東北の方言)で書かれているようです。


何のリズムかわからない 私達にはあまり馴染みがないよ
リズムが心に刻まれるね
吹き飛ぶほどに 寂しさが 悲しみが 嘆きが
陽射しがどんなに暑くても 誰も日陰に走り込まない

ドーディドン ドーディドン
履物を忘れて ピンのドーディドンという音色に合わせて舞う

BNK48『ドートディドン』歌詞日本語訳 | タイのアイドル 日本語発信メディア「BNK TYO」より*
「ピン」とは、ケーン同様、先の「モーラム」によく用いられる楽器の名前。また、ルークトゥンではとりわけ「都会と田舎の対比」という歌詞表現が多く用いられます。おそらくはこの「馴染みのないリズム」とは、都市で育った若い女の子が田舎の祭囃子に触れた情景なのでしょう。

映画「バンコクナイツ」では、ラックとオザワが首都・バンコクから、田舎の東北地方、イサーンへと向かうストーリーが展開されます。そしてその中で印象的に用いられる楽曲が、70年代に発売された、ルンペット・レームシン「田舎はいいね」。この章の冒頭に引用した歌詞がそれです。これがファンキーでかっこいい!

劇中でも印象的に用いられた、ルンペット・レームシン「Ban Nork Dee Nae(田舎はいいね)」

タイにもやはり、日本と同様に、地理的・政治的条件と折り合いをつけながらも発展をとげた ―あるいは発展の中で途絶えてしまった― 音楽文化がありました。都会と田舎、モーラムとルークトゥン。これらの要素を丁寧に織り込んだ映画「バンコクナイツ」に「stillichimiya」が出会ったのは、ある種の必然だったのかもしれません。YOUNG-Gはこんな発言をしています。

言葉がわからないと判断しづらいんですけど、ルークトゥンは、「田舎が恋しい」とか「バンコクに出稼ぎにきて」という内容なんですよ。それって日本の演歌にもありますよね。吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」とかは、ラップが入っていますがまさにルークトゥンなんです。なんなら俺たちstillichimiyaは、山梨で田舎のことをずっと歌っていたんですよ。だからタイで言えば、俺らルークトゥンだったんだなって(笑)。

The Culture Clash:Young-Gがタイに惹かれる理由【Interview】Part.1*/Kana Yoshioka





DJ KENSEI


さて、空族がイサーンでアンカナーン・クンチャイと「モーラム」のシーンを撮影した、その数ヶ月前に時系列を戻します。

2015年7月、stillichimiyaの初期音源をコンパイルした「stillichimiyaの流れ」を送り出したDJ KENSEIは、それから約2ヶ月後の2015年9月、東南アジアへ向かっていました*。翌2016年に「Is Paar」として発表されることになるアルバムを、DJ KENSEIは、この旅を通じて、タイとラオスで制作することになります。
IS PAAR
DJ KENSEI「IS PAAR」(2016)

――では、今回のアルバム『IS PAAR』をタイとラオスで作ることになったきっかけは?

「〈タイにアルバムを作りに行こう〉という強い想いが最初からあったわけじゃなくて、まずはインドへ行くことになって、その途中でタイに寄ってみようというぐらいの軽い感じだったんですよ。インドは初めてだったので少しハードルが高いかなと思って、まずは慣らすためにバンコクへ行こうと」

【REAL Asian Music Report】第6回 DJ KENSEIがタイやラオスを巡って芽生えた感覚とは? 旅のスケッチ集『IS PAAR』に込めた〈気配〉| Mikiki*/大石始
KENSEIはバンコクに到着*後、タイ北部のチェンマイを経て*ラオスに入国。そしてルアンナムター*、フアイサーイ*、ヴァンヴィエン*、ヴィエンチャンを経て、再びタイに入国。ノーンカーイを経て*再びバンコクへと戻ります。そしてそこで、「バンコクナイツ」撮影中の空族のもとを訪問しました。
DJ KENSEIのルート
9月17日頃にタイ・バンコクに到着*後、数カ所を経て再びバンコクへ*
この時に空族撮影班の元を訪れた。ツイッター掘りまくってすいません。

そしてこの時KENSEIは、その道中で製作した、現地の音をサンプリングした「風景のスケッチのような」いくつかのビートを空族に手渡しました。奇しくも、DJ KENSEIが空族と出会う前に辿ってきたルートは、このあとの空族がまさに向かわんとしていた「イサーン」でした。このとき手渡されたビートはそのまま、東北を目指す彼らのテーマソングとなります*。そうして「ケーン」をサンプリングしたKENSEIのビートをBGMに、一行はイサーンへ向かいましたが、そこで撮影されたのが、アンカナーン・クンチャイが演じた、先の「モーラム」のシーンでした。

そしてこのビートは、のちにstillichimiyaを客演に迎え、「Khane Whistle (Reprise)」として「Is Paar」に収録されることになります。



さて、この年の暮れ、ついにstillichimiyaが全員集合。かねてよりスタッフとして参加していたスタジオ石、YOUNG-Gに加え、田我流とBIG BENがラオスに到着します。


これは、クライマックスのあるシーンの撮影のためでした。そして、そのシーンにおいてstillichimiyaのメンバーと共演を果たしたのが、フィリピンのラッパーOG SacredとRaynoa。彼らは、遡ること4年前にYOUNG-GとBIG BEN、そして空族が「RAP IN TONDO 2」において出会いを果たした、フィリピンのヒップホップクルー「TONDO TRIBE」のメンバーでした。stillichimiya特集をここまで読んだ方は、この、色んな意味での全員集合っぷりがよくわかるかと思います。
TONDO TRIBEとYOUNG-G
映画「バンコクナイツ」より、TONDO TRIBEとYOUNG-G、田我流

stillichimiyaが辿ったこれまでの歩みを踏まえた上でこのシーンを見ると、まさに現実と虚構の境がぼやけるようで ―さらにいえば、彼らに訪れ得たかもしれないパラレルワールドのようで― 幾重にも面白いものです。

そして、おそらく前回の「サウダーヂ」と「莫逆の家族」のMVの関係性と同様に、「バンコクナイツ」と「Khane Whistle」のMVも、また同じ世界を共有していると思われ、歌詞も含めてこの関係性を見てみるととても面白いところなんですが、あんまり言い過ぎるのもアレなのでやめときます。空族の映画は一切ソフト化されていないため、なかなか見る機会がありませんが、そのうち映画館でかかると思うのでそれを待ちましょう。ちなみに富田監督はタイのブートレグ屋で「サウダーヂ」のDVDを見つけて感動したそうです。どうしても見たい人はタイのブートレグ屋(以下略)





2016年


さて、2016年の1月、撮影はついにクランクアップ。スタジオ石とYOUNG-Gを交えた数ヶ月間の編集作業を経て「バンコクナイツ」は完成しました。そしてこの年の8月、ロカルノ国際映画祭で若手審査員賞を受賞。国内外から高く評価されます。また、stillichimiyaが「アンテナショップ」として、BIG BENを店長に、レコード店「BIGFLAT 大平」を開店したのもこの2016年でした。ここではstillichimiyaの関連作などに加え、タイのレコードや、メンバーの知り合いや親戚が作った桃や葡萄が売られるそうです。

めでたいこともあれば辛いことも。かつてstillichimiyaの「死んだらどうなる」に帯文を寄せた大阪の重鎮・DJ KENSAWが亡くなったのは、この2016年の秋のことでした。

RIP DJ KENSAW 天国で遊びましょう

田我流「センチメンタル・ジャーニー」(2019)
80年代からDJとしての活動を開始し、大阪シーンのドンとも呼ばれるDJ KENSAWは、LOW DAMAGE、梟観光としても活動。彼は又の名を「オリジナル赤い目フクロウ」と呼ばれますが、YOU THE ROCK★の代名詞でもある「真っ赤な目をしたフクロウ」とはとりもなおさず、KENSAWのこれを引用したものでした。前年のDEV LARGEの逝去に続き、KENSAWの死はYOU THE ROCK★にとっても辛いものでしたが、その絶望の淵からYOU THE ROCK★はカムバックを果たします。が、それはまた別のお話(こちら)

前回でも述べましたが、僕はこの帯文がこのアルバムのかなり重要な部分だったと考えていて、この捉えどころのない、まさしく「彼らの空気を封じ込めた」ようなアルバムに、「形を与えた」一言だったと思っているんです。この言葉によって、「死んだらどうなる」というタイトルは、逆説的に、死ぬまでの遊びとしての「人生」を照らし出すものに反転された。そう思います。

この2016年、stillichimiyaは自身の名を冠した2つのMVを公開。そのうちの一つが先述の、DJ KENSEIとの共作、「Khane Whisle (Reprise)」。そしてもう一つが、バイクメーカーのHONDAとのコラボレートにより生まれた「ちょいとどこまでも」でした。


かねてからアジアの音楽を掘り続けていたYOUNG-Gでしたが、「バンコクナイツ」への参加を経験した2016年から、彼はさらにアジアの音楽、とりわけタイの音楽にのめり込んでゆき、それは彼の作品にも大きく影響することになりますが、その兆しが見えたのがこの曲でしょう。意図的にかつての「太さ」を抜いたチープなドラムに、少しヨタったウワモノ。この曲は、アジア的牧歌性をstillichimiyaの作風に ―即ち山梨ローカルに― 落とし込んだものでした。図らずもこれが、東南アジアで絶大なシェアを誇る「ホンダの原付」のテーマソングであったことには、奇妙な符号を見出します。YOUNG-Gはこんな発言をしています。

ある日、山梨の一宮という田舎町でタイやラオスの古いモーラムやルークトゥンを聴いていると、ここで生まれた音楽かのように景色にフィットしている事に気づいた。改めて思うと不思議だった。アメリカのヒップホップより、日本で大人気のAKBよりも、完全に景色と空気にフィットしたグルーヴだったのだ。
それは僕たち日本人と同じような顔をしたアジアの人達が同じような場所で育んできた音楽だから本当は当たり前なのだ。

PAN ASIA -Project Mekong- 第1回 (Young-G)| boidマガジン*
YOUNG-Gのこの言葉に僕は、「ちょいとどこまでも」のミュージックビデオの不思議な調和性を重ねずにはいられません。アジアの音色、山梨の自然、ホンダのバイク(←?)。異国情緒を漂わせながらも、不思議と山梨県のロケーションにマッチしたこのMVは、この時点における、のちのstillichimiyaの展開を占う作品であったと言えるでしょう。この後、彼らは「県」どころか、「国」などという単位すらもすっ飛ばし、アジアと一宮をグローバルに、かつローカルに繋いでしまうのです。





DIGGIN’ INTO ASIA


2016年の夏、映画「バンコクナイツ」が日本で封切られます。個人的には正直、初見ではわかりにくいところがあるかなと思っているんですが、二度三度と見直すごとに発見のある、非常に多層的な映画になっています。実に5年ぶりとなる待望の空族の新作は、大きな反響をもって迎えられました。
バンコクナイツ
映画「バンコクナイツ」(2016)
翌2017年、YOUNG-Gはタイへ渡航。「RAP IN TONDO 2」、そして「バンコクナイツ」への参加を経てアジア音楽のDIGに取り憑かれた彼はついに、ここからほぼ1年間をタイで過ごすことになります。

この頃、YOUNG-GとMMMはタイで現地のラッパー「JUU4E」のライブを目撃(初対面は両者で証言が食い違う)。そこから親交を深めて行くことになります。この「JUU」というラッパーをどう説明したらいいのか表現に困りますが、僕が最初に感じたのは「鎮座DOPENESSとTwigyとボブ・マーリーを足したようなヤバさ」とでも言いましょうか。



関係ないですけどこれ元ネタFF7のアレですよね。最高! さて、やはりアジア諸国のヒップホップシーンにおいても、アメリカの(模倣的とも言える)影響が根強いなかにあって、JUUは確実に、ヒップホップをその土着性とともに血肉化し、独自の表現へと昇華させていたラッパーでした。YOUNG-Gはそこにこそ衝撃を受けました。

ONE MEKONG


彼らがアジアに潜伏していた頃に公開されたのが、スタジオ石と音楽動画メディア「lute」がタッグを組んで製作された「ONE MEKONG」でした。タイを舞台に、stillichimiya、青木ルーカス、Soi48、空族らが総出演で製作され、「一体我々は何を見せられているんだ」という衝撃を与えたこのモキュメンタリーシリーズは「バンコクナイツ」の日本公開に合わせて製作されたものだったんですね。ちなみに先のアンカナーン・クンチャイさんもこちらに登場しています。すごい出てくれるじゃん人間国宝。


そしてこの2017年の暮れ、映画「バンコクナイツ」のメイキングとでもいうべき映画、「映画 潜行一千里」が公開されます。これは、空族の映画制作に同行した撮影スタッフ「向山正洋」監督、「古屋卓磨」撮影によるドキュメンタリー映画でした。というわけで、ここに来てMMMは映画監督になります。
映画 潜行一千里
映画「映画 潜行一千里」(2017)


そして2018年5月。一時帰国(?)したYOUNG-GとMMM、Soi48がLOFT9にて、ゲストにJUU、G.JEEを招聘し「ONE MEKONG MEETING VOL.1」を開催。「アジアに潜入した男たちが、メコン一帯の、ゴシップ、カルチャーを一挙紹介」とある通り、これはstillichimiya「アジア組」の研究成果発表とも呼べるものでした。そしてこの頃からYOUNG-GとMMMは「OMK」というユニットを名乗り始めます。これはとりもなおさず、「ONE MEKONG」の略称でした。

ONE MEKONG MEETING vol.1

―ところで「OMK(ワン・メコン)」とはどういう意味なのでしょうか。

Young-G:One Mekong(=ひとつのメコン川)からきているんです。メコン川周辺の代表的な曲でラオスの古い民謡「サラワン」という、今の国境ができる前からその地域で歌い続けられた曲があるんですけど、タイの国民的なモーラム歌手のアンカナーン・クンチャイにも、自分が日本へ呼んだカンボジアのヒップホップ・クルーKlapYaHandzにも、さらにはJoey Boyも「サラワン」って曲があるんです。「サラワン」とは、ラオスの地名で、ラオスの民謡なんですけど、それをいろいろな人たちが、国境やジャンル、時代をまたいで歌っているってことに衝撃を受けて。それってすごくないですか?

The Culture Clash:Young-Gがタイに惹かれる理由【Interview】Part.2 | MIXMAG*
YOUNG-GとMMMは、イサーンやラオスの音楽を深く掘り、その土地の歴史を学ぶ中で、「国境を超越した規模でメコン川流域に根付いた音楽文化」の存在に気がつきました。例えば先述の「モーラム」もまた、イサーンからラオスが発祥とされていますが、それは現在の国境線によって定義づけられようはずのない、遥か太古からその地に住まわってきた、人類の文化的営みの残存でした。

かつて幻の名盤解放同盟は、「すべての音源はターンテーブル上で平等に再生表現される権利を持つ」という偉大な言葉を残しましたが、しかるにOMKの活動は、東南アジア、メコン川流域に存在した音楽を、まさしく「ONE MEKONG(=ひとつのメコン川)」の名のもとに「平等にターンテーブルの上で再生(=再び生き返らせる)してみせる」ものに他なりませんでした。

典座


映画「バンコクナイツ」の舞台であるタイは、敬虔な仏教国として知られます。そして2018年、空族が新たに制作にあたった映画のテーマは、図らずも、「仏教」でした。

映画「典座 ―TENZO―」の企画は、富田克也監督がバンコクにいた頃に、曹洞宗青年会から受けた依頼が発端でした。仏教の世界には「世界仏教徒会議」というサミットのようなものがあるそうで、その2018年度のホスト国・日本の曹洞宗より、その際の「プロモーションビデオのようなもの」の制作が、空族に打診されたのが元々の始まりでした。結果的に1時間強の映画として完成しましたが、この制作には前回に引き続き、スタジオ石も参加します。
典座
典座(2019)
道元による日本への伝来から、近年では明治の廃仏毀釈などを経て、独自の発展と変化を遂げた日本の仏教を、2011年の東日本大震災と重ねて描き出したこの作品は、その主題が極めて高く評価され、第72回カンヌ国際映画祭批評家週間「特別招待部門」に選出されます。これがstillichimiya特集 第一回の最後に触れた一件に繋がるわけです。


Mr.麿、カンヌへ。

この時から遡ること11年前、かつてメンタルを病んでドラマのADをドロップアウトしたMr.麿は、会社を退職し、ユーラシア大陸を放浪。バンコクの地でstillichimiyaのTシャツを着た日本人に出会い、驚きつつ「僕がスティルイチミヤなんですよ」と話しかけましたが、奇しくもそれが富田克也監督との初対面でした。そして帰国後、仲間たちとstillichimiyaとして、そして「スタジオ石」として活動。stillichimiyaと空族は、裏方としても演者としても数多くの共作を果たしながら、いくつもの傑作を世に送り出し、ついには共にカンヌの赤絨毯を踏んでしまったのでした。因果です、因果。

Ride On Time


さて、この数年間、これまでstillichimiyaのサウンドプロデュースを一身に引き受けていたYOUNG-Gは、アジアへの潜入、OMKの活動、そして後述するJUUとの共作などに勤しんでいました。その中にあって、2018年にリリースされた田我流の「Vaporwave」は、彼自身がトラック制作を独学で習得して制作したものでした。


2010年代初頭に生まれたヴェイパーウェイヴという音楽ジャンルは、1980年代的なモチーフを多用し、大量消費や、忘れ去られた人工物・技術への郷愁を想起させることを特徴の一つとします。このジャンルでは「ショッピングモール」がモチーフとしてしばしば用いられてきましたが、これもやはり、80年代的な大量消費文化に対する批評性として受け取られてきました。田我流の「Vaporwave」は、このヴェイパーウェイヴというジャンルを、ジャンルごとstillichimiya的文脈にサンプリングしたものでした。

あるのはチェーン店ばかり
空き地と畑とコンビニ
LEDのネオン
ガキが屯するイオン

この街時代がVaporwave
人とか蒸発して消える
今日もまた地球最後の日
スポンジと化した脳みそでChill
緩いとこ comin’ 2 my town

田我流「Vaporwave」(2018)
このアプローチはヒップホップ的にもstillichimiya的にも最高で、「上手い!」と思ってしまいました。そして何より、ビートを田我流自身が手がけたことにも驚かされました。この時期のプロダクションについて、田我流はこう発言しています。

あとずっと一緒にやってたYOUNG-Gが頻繁にタイに行くようになったあたりから、俺も自分でビートを作れるようにしようと思ったんです。ゼロからラフミックスを作れるとこまで勉強しました。それからアレンジも覚えて。ライヴ用にトラックをエディットしたり、出音の調整をしたり。そういうことも全部できるようになんなきゃなって。

――緒に作業をしていた人の不在は大きかった?

田我流 – そうですね。とはいえ、こういうのって誰にでも起こりうる話だと思う。例えば、共同経営者が、お母さんの面倒をみるために地元に帰らなきゃいけなくなった、みたいな。ビートメイクに関してはほとんど知識がなかったから、本当にゼロからこつこつ勉強してます。しかもやるからにはクオリティ低いものなんて世の中に出せないし。あとレコーディングとか。今回のアルバムの本録りは外のスタジオでやりましたけど、今後はそれも含めて全部自宅でできるようにしたい。

【インタビュー】田我流 『Ride On Time』| 3つのルールで作り上げた最高傑作|FNMNL*/宮崎敬太・和田哲郎
このリード曲を経て、田我流は自身の制作によるトラックを含む、通算3枚目となるアルバム「Ride On Time」を発表。
Ride On Time
田我流「Ride On Time」(2019)
田我流自ら「風通しの良いアルバム」と評する通り、スッと聴ける、それでいて飽きの来ない、成熟した作品に仕上がっています。何よりも、30代半ばを過ぎてから学び始めたトラック制作でこのクオリティに到達しえた事実が、何よりも強いポジティブな力をこのアルバムに与えていると言えるでしょう。

「要するに、世界はこんな簡単に繋がってるってわけ」


「典座」が日本で封切られた2019年、JUUとYOUNG-G共作によるアルバム、「ニュー・ルークトゥン」がリリースされます。これは、アンカナーン・クンチャイらのタイ・レアグルーヴをSoi48とともに再発している「エム・レコード」からの発売でした。ここまでお読みいただいた人は、この「ニュー・ルークトゥン」なるタイトルに、非常に挑戦的かつコンセプチュアルな、なんらかの意図を察することと思います。

ニュールークトゥン
ニュー・ルークトゥン(2019)
JUUはインタビューでこう語っています。

JUU – もともとYOUNG-Gと江村さん(筆者注:Em Recordsオーナーの江村幸紀氏)と会う以前から、最近のルークトゥンのあり方に疑問を抱いていて。古いルークトゥンは僕も大好きで、彼らと会って、彼らも僕が聴いてきたような古いルークトゥンが好きだということにすごく驚いたんです。

OMKのみなさんと出会ったことで、逆に僕のなかでルークトゥンに対する理解が広がった面がありました。あとは、みなさんのライフスタイルを一緒に体験することで、自分の好きなものが暮らしのなかにあることにすごく感銘を受けました。YOUNG-GやSoi48はルークトゥンの古いレコードを楽しそうに集めて聞いているし、MMMはムーカタの鍋をキャンプに使っていた。BIG BENさんのお店BIG FLATに遊びに行ったときも、カムロンのカセットテープがあったりして。これはもう、まさにニュー・ルークトゥンだと。ニュールークトゥンとはつまり、「変人のルークトゥン」ということ。頭が(いい意味で)変わっている…つまり、とてもオリジナリティある人たちによるルークトゥンということだね(笑)

【対談】JUU × YOUNG-G|ルークトゥンは僕の血の中に流れている | FNMNL*
このアルバムからのリード曲が「深夜0時、僕は2回火をつける」、そして、stillichimiya全員参加の「ソムタム侍」。ソムタムとは東南アジアで広く食されているパパイヤのサラダです。一見ナンセンスに聞こえる彼らの歌詞ですが、ソムタムの発祥がまさしくイサーンであることを踏まえると、なるほどこれは、まさしく「ニュー・ルークトゥン」と呼ぶに相応しい一曲でしょう。歌詞を聴き込むと実に多くの発見があります。



そしてYOUNG-Gにも、奇妙な「奇遇」が発生していました。JUUと知り合う以前に、彼がイサーン地方を旅していた頃。

YOUNG-G:俺タイに一年住んでたじゃないですか。その時イサーンを一人旅してたんですよ。で、コーンケーンに、一泊したところがあって。で俺、ステッカーをね、いろんなところに貼って回ってたんですよ。で、僕その後タイのJUUっていうラッパーと仲良くなるじゃないですか。で、JUUさんの家がコーンケーンだったんですね、たまたま。

で、JUUさんちに行こうってなって、行ったら、俺が泊まってたところのめちゃ近くで。俺のステッカーが貼ってあったんですよ。で、JUUさんはもう既にイチミヤ(stillichimiya)知ってたけど、そのステッカーには気付いてなくて。

で「いや俺、ここ来た事あるんすよ」って、JUUさんに。「ええ?」みたいな話になって。「俺ここにステッカー貼ったんだよな……」っつってピラッてやったら、あって。JUUさんも「毎日俺ここ通ってんだよ!」みたいな。

(一同爆笑)

stillichimiyaの困ッタ人たち 2021年10月31日放送
なんと、JUUと出会う以前にYOUNG-Gが旅の道中でステッカーを残していたその場所は、偶然にも、その後彼が深く関わることになる、JUUの家のすぐそばだったそうです。

stillichimiyaと堅い絆で結ばれたJUUの腕には現在、stillichimiyaのロゴマークと、武田信玄公の武田菱が彫られています。気がつけば彼らは、途方もないほどにグローバルに、それでいてどこまでもローカルに、フッドをレペゼンしていたのでした。

アジア、一宮、三千世界


というわけで、3回にわたり5万字超でお送りしてきた彼らの歩みでしたが、ここらで一度おしまいです。ここから先、彼らは更に面白い展開を見せてくれるに違いありません。

彼らは一貫して内輪的なナンセンスを体現し続けてきましたが、アジアに接近して以降の、近年の彼らの歌詞には今一度着目すべきでしょう。例えば先の「ソムタム侍」は実は正統派のルークトゥン的な楽曲でしたが、これまでの彼らの活動を踏まえて聴くと、2019年に公開されたこの楽曲「3000」にも、決して単なるナンセンスと切り捨てることのできない含意を汲み取ることができます。


Wind is blowing from the Asia
3000の風吹いた
分断線一歩跨いだ
中朝日韓よ
春に浴びるYou (黄砂)
常に漏れてる (放射)
米を食べる人種 (Asia)
1000を越える新種 (3000)

stillichimiya「3000」(2019)
ジュディ・オングからの引用(台湾と日本にルーツを持つ歌手)、サガットの必殺技(タイの国技ムエタイ)、韓国料理の羅列。「ここは誰のもの?/種まで強盗/力でいつか自滅するฝรั่ง」というラインには、TPPをめぐる大国のエゴという含意も読み取れるように思います。一見ナンセンスに見えるこれらの歌詞は、全編にわたる全面的なアジア賛歌なのです。

この動画が公開された時、Youtubeのコメント欄には「メンバー顔ずいぶん見ない間に変わったんかと思った」というナイスなコメントが投稿されていましたが、ここにサンプリングされている映像が、同胞ともいうべき「汎アジア」のヒップホップグループのそれである点を鑑みると、「ฝรั่งを許す偉大な兄弟」という歌詞に、なんともバカバカしくもこみ上げてくるものがあるわけです。それでいて「マジでこいつらはずっと何を言ってるんだ」という爆笑のパンチラインもあり、それはスラング的であり、つまりはヒップホップ的なのではないかと思うわけです。

「3000」が何を意味するのか正確なところは分かりませんが、少なくとも、彼らが楽曲のタイトルにこの「数」を用いたのは、これが二度目です。一度目は、最初期の作品「PLACE 2 PLACE」の冒頭を飾った一曲「大三千世界いちのみや」でした。この曲の歌詞には、「波羅羯諦」「菩提薩婆訶」など、般若心経の一節が登場しますが、この仏教的要素はおそらく、「日本のヒップホップとは何か」を模索していた時期の彼らが、楽曲の中に意図的に盛り込んだものだったのでしょう。「三千世界」という言葉もまた、仏教の世界で用いられる言葉でした。

さんぜんだいせんせかい【三千大千世界】

仏教思想において巨大な宇宙空間を示す術語。三千世界ともいう。須弥山(しゅみせん)を中心とし,地獄界や兜率天,梵天界などを含み,1個の太陽と1個の月を従えた空間を一世界と呼ぶ(現代の太陽系に相当しよう)。宇宙にはこのような世界が無数にある。それらが千個まとまった空間を小千世界と呼ぶ(現代の銀河系に相当しよう)。同様に小千世界が千個まとまったものを中千世界と呼ぶ。中千世界が千個まとまったものを大千世界と呼ぶ。

世界大百科事典 第2版「三千大千世界」の解説
この説明に則るなら、つまりは、10億の太陽系。広大で巨大な宇宙そのもの。それが三千世界です。

仏教の世界では、我々が住まうこの三千世界が「娑婆(サハー)」と呼ばれ、この「娑婆」から遥か西方に別の三千世界、すなわち「極楽浄土」があるとされます。これは、「西遊記」において玄奘一行が「西」を目指したこととも重なるでしょう。「大三千世界いちのみや」のフックは、ゴダイゴの「ガンダーラ」の引用でした。

stillichimiyaはかつて、甲州弁で、一宮町を日本中に向けてレペゼンしました。しかし気がつけば彼らは、日本のヒップホップシーンだけでなく、アジア各国のシーンとも深く関わり、日本という単位すらも飛び越えて、一宮町を「世界に」対してレペゼンし、そればかりか、「西から吹く風」という言葉のもとに「アジア」を日本に対してレペゼンするに至ったのでした。

そして彼らが歌う「アジア」とは、かつてある国が「八紘一宇」という言葉に仮託したような類のそれではありません。むしろ「他のコミュニティの尊厳を尊重しながら、それを認め、誇る」という姿勢は、その対極に位置するものでしょう。そしてそれこそは、ヒップホップというアートフォームが、長い年月をかけて培った知恵であったに違いありません。

いまだに「日本語でラップをやることは無理だ」って言ってる人たちがいるでしょう?でも、その人たちは日本とアメリカしか見てない。日米関係の中でしかものを見られない人たちだよ。フランスでも、パレスチナでも、マレーシアでも、みんな自分たちの言葉で、ラップしてる。だから、逆に言うと、日本語でやらないことの方が不自然なんだよ。

いとうせいこう、ユリイカ 2016年6月号 特集:日本語ラップ
「自転車(ビート)に乗ってどこまでも」より
stillichimiya特集① ― stillichimiyaとはいかなる「現象」だったのか? stillichimiya特集② ― おみゆきCHANNEL、スタジオ石、深化するソロ活動

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